15.流転




 昼前になって、白蘭は目を覚ました。しかし目を開けてもだるくて、ベッドから起き上がるには時間がかかりそうだ。重い瞼は真ん中あたりでゆらゆら下がって上がってを繰り返してちっとも定まらない。
 そこへ、すっと何かが差し出された。

「おはようございます」

 白蘭の鼻先に浮いていたのは、白い粥を掬った朱色の木さじだった。食べやすいように冷ましてあるのか、湯気はたっていない。そしてそれを持っているのは骸だった。さじを持っていない方の手で、小振りの土鍋ののった赤いお盆まで持っている。
「お、おはよ……? どうしたの、珍しいね」
「暇だったので、たまにはと。レシピ通りに作っただけなので味の保証はしませんが」
「そ、そんなの何でもいいよ! 骸君が作ってくれたってだけで、すごく嬉しい……!」
 気だるい表情がいっぺんで明るくなり、白蘭はベッドの上で跳び起きた。こんなこと、初めてだった。エネルギーを必要とせず味覚もない骸にとって、食事ほど意味のないことはないのだ。料理という行為も同様。だからこんな夢みたいなことは、本当に夢そのもののようで、白蘭は自分がまだ眠っているのかと錯覚するくらいだった。
 さりげなく口の中で舌を噛んで痛みを確かめたのは、骸にはバレていないようだ。ついでに言うなら、やはりこの状況は現実らしい。白蘭は舌がじんじん痛むのを感じていた。
「クフフ、どうぞ召し上がれ」
 さすがに手ずから食べさせてやることはせず(少し残念だった)、骸は白蘭の手にさじを握らせ、盆はベッドに置いた。それでも白蘭は嬉しそうで、一心不乱に食べ始めた。勢いが良すぎて、食べると言うより“貪る”の方が正しいかもしれない。
「うん、うんっ! おいしいよ、骸君!」
 実際はごくごく普通の玉子粥で、味もよくある手本通りの薄味だった。でも、どうしてか胸にしみる味だった。
「それは良かった。でも、もう少し多めに作れば良かったでしょうか?」
 使い終わったさじと、あっと言う間にからっぽになってしまった土鍋を受け取りながら骸は困ったように眉を下げた。二人分で記してあったレシピの分量をぴったり半分にして作っていたのだが、白蘭は少し物足りないように見える。
「ふふ、そうだね。次に作る時は炊飯器まるまる一杯分よろしくね!」
 満面の笑みで満足そうにはしゃぐ白蘭からは、昨日の陰は見えなかった。
 骸は「ええ、わかりました」と淡白に答えながら食器をキッチンに下げる。いつもならすぐに洗うのだが、今日はもうその必要もない。食器を水に漬けることすらせずに放置して、骸は寝室に戻った。
 上機嫌にベッドの上で跳ねる白蘭は呆れるくらいにいつも通りだった。

「白蘭。今日の午後、ここを発ちますからね」

 告げる骸も、いつも通りの声音だった。
「………………へ?」
 ポカン言う擬態語がぴったりな白蘭のその様子は随分と間の抜けたものだった。理解することをすっかり忘れてしまったように目を白黒させて固まり、言葉を脳内で反芻しているらしい。
 まあ、それも仕方のないことだろう。
「え、は……? え、えと、ごめん、もっかい言って?」
 フリーズからなんとか回復しても、白蘭は曖昧な表情のまま声を少し震わせた。言葉の意味をしっかりと理解しているのは確かだろう。
「だから、今日の午後、僕たちはここを出て、遠くへ行くんですよ」
 ゆっくりと言ってやれば、白蘭は目を見開いて何か言おうとして、しかし言葉をなくして口を閉じ、そしてまた無音で開いてを繰り返している。ぱかぱかと繰り返す様は綱吉の絵本にあったくるみ割り人形のようで、実に滑稽だった。笑えないけれど。
「白蘭。僕とあなたと母さんと、三人で誰もいないところへ行きましょう。マフィアなんて関係ない、ごく普通の暮らしをするんですよ。大丈夫、検問を誤魔化したりなんだりは僕の得意分野ですから、国外にだって行けますよ」
「……え……だっ、な、何それ? 冗談だよね? わ、笑えないって!」
 口をひくひくさせて歪んだ苦笑を必死で取り繕う白蘭に、骸は無表情で答える。
「冗談なんかじゃありません」
「う、嘘つかないでよ骸君! 真面目な顔してからかわないで!」
 白蘭はまるで駄々をこねる子供のように首を振って声を荒げた。骸の瞳が、嘘をついていないのだ。信じたくなくて、でも信じたくて、板挟みの状態がどうしようもなく苦しかった。骸を疑うなんて、嫌なのに。
「……わかっているくせに。からかってなんかいませんよ。それに、何の問題もないでしょう?」
「あるって! どうして突然!? その必要もないじゃない! それにそんなことをしたら……っ」
 白蘭の叫びに近い言葉にも、骸の表情は変わらない。痛いくらいに真摯で、けれど何かを諦めた顔だった。
「必要なら、ある。僕は大切なものを奪われて黙っていられるほど優しくないんですよ」
「た、大切なものって何!? そんなものっ――」

「あなたですよ、白蘭」

「な……っ!?」
 真っ直ぐに見つめられて、白蘭は言葉を詰まらせた。嬉しいはずなのに、喜ぶべきはずなのに、どんどん追い詰められている気がした。なんだか息がしづらいのは気のせいか。
「正確には、僕と同じだったあなた。二人で一人だったあなた。あいつは僕からあなたを奪った」
「な、何を……! ちょっと待っ――」
「あなたがあんなことをするのには、何か理由があるのでしょう。なら、その理由からも逃げて。僕と同じあなたに戻って」
「ま、待ってよ骸君! お願いだから、ちょっと待って! 頭、混乱して……ワケ、わかんないから…っ」
 眉根を寄せて、白蘭は額に手をあてた。少しくらりとする。
 そんな白蘭の様子からそれはそれは必死に考えているのが伝わって、骸は少しだけ悲しかった。どうしてそんなに焦るのか。迷う理由もわからない。けれど、ある意味では予想していた通りではあった。それが、ひどく悲しい。
「……骸君、ひょっとしてあの人にそそのかされたの……?」
「そういうあなたは、あの男にそそのかされたんじゃありませんか?」
「話をすり替えないで!」
「先にすり替えたのはあなたですが、まあいいでしょう。あの人というのが母さんを示すのなら……そう、母さんは僕らが思っていた以上にずっと母親でしたよ。本当は最初から、僕らの身を案じていた」
「それをそそのかされたって言うんだよ! あんな女なんてどうでもいいでしょ! それに……そう、そうだよっ、骸君は綱吉君を手放したくないんじゃないの!?」
「綱吉君には、もうお別れを済ませておきました」
「っ!?」
「二度と会えないわけではない。一時の別れです。必ずまた会うと約束しましたから大丈夫」
「で、でもっ、駄目だよ、絶対!」
「……あなたが渋るだろうことは、なんとなく予想がついていました。僕がわがままで頑固なら、あなたもまたそうですからね」

 ――だから、先に手を打たせてもらいました。

「な、っな、にを……ぁ?」
 急に眩暈を覚えて、白蘭はベッドに両手をついて身体を支えた。腕にうまく力が入らなくて、それでもガクガクした。
「無味無臭とは聞いていましたが、僕には判断出来ませんから不安でしたよ。でも本当だったようですね。気付かれることもなく、効きもいい」
 骸の声は乾燥しきっているように感じられた。別段喜ばしくもなく、事実をそのまま述べているだけ。
「ま、さか……っ、骸君……、キ、ミ……!」
「あなたが素直に頷いてくれたなら、中和剤入りのデザートが待ってたんですけどね。頑張って作ったんですよ、プリン。中和剤は苦味があるそうで、少しでも薄めるためにバケツで大きく作ってみたんです。ちなみにバケツのヒントは以前見たテレビの企画です。あなたも見てたでしょう? でも僕プリン自体初挑戦でして、うまく出来たか知りたかったんですけど……仕方ありませんね」
 言葉だけを拾うなら、それは随分とふざけた内容だった。でも、骸の声音は相変わらず何も含まず、淡々としていた。
「な、に……なん、で……! ふざ、けないで……どう、して……っ?」
「……ずっと、それこそ生まれる前からあなたが傍にあるのが当たり前だと思っていました。同じであることが当然だと。そういう存在なんだと認識するほどに。でも違った。簡単に崩れてしまうんですね、僕らは。そしてそれを簡単に受け入れられるほど僕の執着は甘くない。だから僕は僕に出来ることをする。あなたと共にあるためにすべきことを、模索する。手段など選ぶものか」
「む、く――!」

「ねえ、あなたのことがスキですよ、白蘭」

 す、と伸びた指が白蘭の顎をすくい上げ、閉じかけた菫色の眼が上向く。その狭まった視界いっぱいに骸の端整な顔が広がって、直後白蘭の唇に柔らかく触れるものがあった。

 ちゅ。

 可愛らしい音を契機に、白蘭の意識は薬のもたらす眠りに引き込まれていく。まず手から力が抜けた。続けて身体がシーツに落ちる。そして瞼すらも、ゆらゆらと落ちていく。
「おね、が……っ」
 視線と指先だけが最後の抵抗をして骸を向く。
「ま、……っ……て、……む……く………………」
 白蘭の意識は、そこで途切れた。
「…………」
 再び安らかな寝顔を浮かべる白蘭の頬を、骸の手が柔く撫でる。
 酷いやり方をした自覚はあった。卑怯だとも思う。でも後悔は微塵もなかった。

「……良い夢を、白蘭」
 
 どうか夢の後も、夢のような日々が続きますように。
























前回もそうでしたが、骸さんは手段を選ばない人です。
そして前々回にて語られているように、白蘭もまた同じです。
骸と白蘭はとてもよく似ていて、だからこそ同じ思考に辿り着き、でも願いは少しずれていて、そして結果的に二人の行く道は捩じれてしまったわけですね。

さて。たぶん次の話か更にその次の話かでちょっとまずいシーンが入りそうなんですが、どうしましょう……。
カットすると話がわかりにくくなりそうで、困っている次第です。
あ、ところどころ反転とか――駄目だ、反転のやり方知らないや……。
でもパスの付け方も知らないからR18は置けないし……。
んー、ググるか……R15になんとか収めるか……。
ふぅむ……。


2008.11.02




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