08.脈動
執務机に組んだ手を起き、重苦しい椅子に腰を沈める9代目は、遠き地の愛し子を思って溜息をついた。
「ボス、ご安心下さいませ。綱吉殿は息災であられます」
見かねた秘書官の報告にも安堵は生まれないのか、9代目は組んでいた手を組み換えて再度溜息をつく。
「息災ならいいというものではないのだよ。綱吉くんは未だに彼らと共にあるのだろう?」
幼い彼ら。呪われた彼ら。異端児の彼ら。綱吉の友達の彼ら。マフィア界の噂話程度にしか関わりのなかった彼らは、綱吉と触れ合ったことで大きくその立場を変えた。それも、ひどく厄介な立場に。
「……あの双子は危険なのだよ」
「それは重々承知しております。だからこそ、監視を続けさせているのでしょう」
殺人鬼と言っても障りのない彼らを、綱吉は自慢の友達として扱っている。その日あったことを電話で喜々として話す綱吉から、どうして友達を奪えるというのか。だから最低限のラインとして監視を置いた。けれど――
「監視の者は、これで何人目だね?」
監視は不定期に変わっていた。最初の1人はその日のうちに。次の2人は1週間が経たないうちに。更にその次の1人は3日。その次の次の3人は2週間。
監視より、死体処理の方が重労働だった。
「……昨日までで21人です。しかし先程22人になったと報告が」
「そうか……」
9代目には彼らの心がわからなかった。監視をしていた者の報告では、双子と綱吉はごく普通に日々を過ごし、一般の子供と変わらない生活をしているとのこと。傍から見れば仲の良い幼なじみにしか見えないそうだ。そう報告した矢先に、彼は自らの生命でそれを逆証明していたが。
「これ以上、犠牲は出せない。だが、私はどうしても不安で仕方ないのだ。彼らの存在が、いつか綱吉くんに悲劇をもたらすのではないかと気が気でないのだよ」
9代目は組んだ手に額を乗せて、苦悩に身を痛めた。ボンゴレの血筋には超直感と呼ばれる並外れた第六感が備わっている。気まぐれなそれは知りたいことに限って教えてくれなかった。だからこその不安だ。あの子らの行動は、予測出来ない。
「……ボス。いっそのことエストラーネオを手中に納めてはいかがでしょう?」
「双子の飼い主をかね」
「ええ。彼らを創り出したのがエストラーネオならば、彼らのデータも持っているはず。元より禁忌に触れたファミリーです。ボンゴレが粛正に動いたとしても不思議ではありません」
淡々と意見を述べる秘書官の言葉には一理ある。しかしそれが双子に、ひいては綱吉にどのような影響を与えるのか予想がつかないうちは、無闇に動くわけにはいかなかった。
「…………少し、考えたい」
「どうぞ。ただし、その間にも監視者が危険に晒されていることをどうかお忘れなきよう」
事実だけを告げる秘書官の言葉は、深く9代目の胸を抉った。
「ふ〜ん。意外と溜まらないもんなんだね」
「そうですね」
浴槽に大人ひとりを押し込めて、その血を全部出したらどれだけ溜まるのかを実験していた彼らはつまらなそうに呟いた。ぐちゃぐちゃと死体をかき回して血を絞り出したけれど、湯船に溜まった血はどう見ても深い水溜まりレベルで、血の風呂に入るには相当な人数が必要なことがわかった。別に入りたいわけでもなかったけれど。
「がっかり。まあいいや、とっとと片付けて寝ようか」
白蘭はひとつ欠伸をすると、興味が失せたように腕を頭の後ろで組んだ。
「ええ。でも、こないだみたいに細かく切ってトイレに流すのはやめてくださいね」
そんな白蘭に同意しつつも、骸はやんわりと釘を刺しておくのを忘れない。
「なんで? あれ、名案だと思ったのに」
「綱吉君がトイレに入った時、変な臭いがするって言ってたじゃないですか。あなたがオナラしたんじゃないか、なんて」
「あ、そうだった。オナラはないよねぇ、オナラは」
白蘭はその時のことを思い出して苦笑した。確かあの後、した・してないの論争からオナラとは何かについての素朴な疑問に繋がり、その日一日何故かオナラ論議に費やした。さすがに二度も三度もそんな話をするのも馬鹿らしい。
「クフフ。とにかく、臭いがこもるらしいから、別の方法で処理しましょう」
「ん〜……じゃあ、いつかみたいに庭の木に引っ掛けとく? たぶんすぐに回収してくれるだろうし」
「そうですね」
さっさと結論が出たので、骸は浴槽の栓を抜いた。ぬめった血がするすると流れていくが、獲物から抜けた髪が排水溝に詰まってしまった。かなり嫌な図だ。
「わぁ、最悪!」
「汚いですね」
「髪の毛溶かして流すヤツなかったっけ?」
「世間にはあるかもしれませんが、うちにはないです」
白蘭はそっかぁ、と少し考えて、何か思い付いたのか血まみれの死体の腕を無理矢理引きちぎった。ぶぢゅ、と鈍い音がして、大人の腕が子供の白蘭の手からぶら下がるという奇妙な光景になった。
「自分の髪は自分で片付けるのがマナーってやつだよね」
そう言うと、白蘭は死体の指で器用に髪をまとめて摘ませた。しかしその後どうするかまで考えていなかったらしく、困ったように骸に助けを求める。
「骸君、ゴミ箱とって〜」
「ゴミ箱は駄目です。それこそトイレに流しては?」
それもそうかと思い、白蘭は髪を摘ませた腕を持って風呂場を出ようとして、骸に止められた。
「血を流してからじゃないと、床や壁に染みがつきます」
「あー、そっか。面倒だねぇ、ホント。獲物くれんのはいいんだけど、後始末がさぁ…」
「風呂場ももういっそ赤に塗り直した方がすっきりする気がしますね」
「だよねー」
まだらな赤に染まった浴室を眺めながら、溜息をついてシャワーの蛇口をひねる。
「あー、まだ冷たいや」
「クフフ、おやおや」
頭からザバザバと水を浴びながら、白蘭は身震いした。骸は同様にズブ濡れになりながらも平然と笑うだけだった。
「あ、どうしよ、別の意味で熱くなってきた」
「シャワーが?」
「ううん、身体が」
「?」
首を傾げる骸は、水に濡れたことで薄い寝間着が透けて綺麗な桃色が覗いていた。本人は全く気付いていないが、白蘭は困ったように視線を逸らした。
「熱いのなら、冷ましてあげましょうか?」
そんな白蘭に、骸は事も無げに提案した。
「……うん」
きゅ、とシャワーを止めて、白蘭は骸の細い身体に抱き着いた。熱いのか冷たいのかわからない白蘭の背中に腕を回して、骸は自分を形作る幻覚を一部解除する。
骸は本来熱を持たない。身体を満たす血液は生まれてすぐに冷え切り、それ以来ずっと自身に熱が宿ることはなかった。人肌の温度を偽っていた幻覚を解けば、骸の冷たい体温は白蘭の火照った身体を心地よく冷ましていく。
「……冷めました?」
「うん、まあ。でも冷めた端からまた熱くなってきちゃった」
「そんなんじゃ、僕の身体の方がぬるくなっちゃいますよ」
「もうぬるいよ」
「おやおや。じゃあもういいですね」
骸が腕を解こうとすると、白蘭はふるふると首を振った。
「……もう少しこのままで」
「それは構いませんが、早く処分しないと後が面倒ですよ?」
血は濡れてるうちに拭かないと大変だし、死体は死後硬直で動かしにくくなる。骸としては死体処理を優先したかった。
「いいじゃん。風呂場は塗り替えればいいし、死体はテキトーに切って運べばいいし」
「まあ、そうですけど」
白蘭の頭に付いた肉片をとってあげながら、骸は明日は綱吉の家で遊んだ方がいいな、と考えていた。運んでいる間にこの家に血の臭いが付くのは確実だから。
「……今、ツナ君のこと考えてたでしょ」
声に誘われるように視線を動かせば、白蘭が胸の中でじっとこちらを見つめていた。
「ええ。明日は綱吉君の家じゃないといけないな、と」
「フフ、やっぱり」
白蘭はくすりと笑ったけれど、その目は少しも笑っていなかった。
「別にいいけどね。僕も考えてたし」
(少しベクトルは違うだろうけどね)
「なら、早く片付けてしまいましょう? 明日はともかく、明後日がどうなるかはわからないのだし」
「駄目。もう少しこのまま。それに朝になったら綺麗になってるかもよ? ジジィんとこの小人がお掃除してくれそう」
「クフフ、例えそうでも、どうせ小人も殺してしまうんでしょう?」
「あ、そっか。また汚れちゃうね。でもそん時はそん時だよ。だから――」
もう少しだけ。
深夜にぱちりと目を覚まして、綱吉は天井を見つめたまま口を開いた。
「……ねえ。おじーちゃんにさ、もうビャクランとムクロのところにひとをおくらないでっていってよ」
返事はなく姿もないが、かすかな動揺が伝わってきた。おそらく、庭のあたり。六道家と沢田家のちょうど中間だ。
綱吉はずっと前から気付いていた。常に双子の動向を監視する者がいることに。そして、双子に近づき過ぎた者から消えていくことに。
「あのね。ちょっとかわってるけど、ふたりともすごくいいコだよ。おじーちゃんがなにもしなければ、ふたりもなにもしないよ。オレ、もうヤなんだ。よくわかんないけど、ときどきすごくヤなんだ。だからおねがい、おじーちゃんにつたえて?」
返事は、なかった。
ここらから話が大きく動きます。
2008.9.14
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