07.軋み
「綱吉君、危ないですよー?」
「ツナ君、危ないよー?」
下の方の枝に座る二人が口々に心配しているのを軽く流して、綱吉はもっともっと、と太い枝も細い枝も関係なく掴んで登っていく。沢田家の広い庭には他にもたくさんの木があったけれど、この桜の木は横幅も縦幅も大きくて、木登りには最適だった。
足元をミシミシいわせながら、綱吉はゆっくり登っていた。運動が駄目(正確には運動『も』駄目)なのは十分に自覚しているから、すいすい登ったりはしないし出来ない。ちなみに、最初の枝に登る時は二人に押し上げてもらった。その先は枝が密集していて綱吉でもなんとか登れたため、今では二人とけっこう距離があいている。
「ふたりもくればいいのにー!」
自分より下の太い枝に座る二人を振り向いて誘う。二人は運動神経抜群だ。というより、人間離れしていると言った方がいいかもしれない。木のてっぺんまでだって余裕だろうに。
しかし二人はふるふると首を振った。
「これより上の枝は二人分の重みに耐えられないでしょうから、遠慮しますー」
「そーゆーことー!」
二人はやはりと言うか何と言うか、ここまで手を繋いだまま登っていた。つまり、実質片手で。二人一緒であることにこだわる彼ららしいと言ってしまえばすっきり収まるけれど、それって実は結構すごいことである。するする登っていく様は、ちょっとした手品かサーカスのようだった。
「ん、わかったー! オレもうちょっとうえにいくねー!」
「気をつけて下さいねー」
「気をつけなよー!」
「わかってるってー!」
大声に大声で返しあって、綱吉は次なる枝に手をかけた。大分しなっている。構わずしっかりと握って、右足を引っ掛けーーー途端、ぴりっとした予感めいたものが脳裏を巡った。
「…え!?」
しかし気付きはしても、悲しいかな綱吉のお祖末な運動神経は付いてきてくれなかった。
バキっ
「あ…!」
音を音として感じた次の瞬間には、綱吉は葉の間からキラキラ光る太陽を仰いでいた。今日は本当にいい天気だなぁ、なんて現実逃避できたのも一瞬で、まばたき一回したあとには単純な落下が待っていた。
「っわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
「綱吉君っ!!」
「ツナくーーーえ、骸君っ!?」
双子の言葉が不揃いになったのをスローモーションになった世界で感じながら、綱吉はあれ?と内心首を傾げた。空中でばたつくうちに視界に入った白蘭は、どうしてか手ぶらだった。
(ムクロがビャクランのてをはなすなんて…)
「骸君!!」
白蘭の悲痛な叫びの意味を理解するのに、綱吉は数秒を必要としたけれど、その間にすべては終わっていた。
グシャ…!
「うぁっ!!」
衝撃と痛みとで目がちかちかした。呼吸が詰まり脳が揺さぶられ瞬間的な吐き気が襲い胃液がちゃぷちゃぷと混ざる。乗り物酔いの感覚を最大限に増幅したような気持ち悪さは、たぶんしばらく忘れられない。
「ぅ…けほっごほっ…!」
むせながら綱吉はその場を転がった。仰向けの状態は苦しい。
「うぅ…っ……?」
ころんと転がると、すとんと少し落ちた。
(オレ、なにかのうえにおちたの?)
段差のようなものを感じて、綱吉は視線をずらしていく…とーーー。
「…ムクロっ!?」
綱吉の隣に倒れていたのは骸だった。正確には、綱吉の下敷きになっていた、だ。
「や、やだ…ムクロっムクロだいじょうぶ!?」
綱吉は慌てて骸に縋り付いた。あの高さから落ちても怪我がないのは骸のおかげなのだと、骸が身を挺してくれたのだとすぐにわかった。白蘭の手を離してまで、骸は綱吉を助けてくれたのだ。
「…大丈夫ですよ、綱吉君」
骸は縋り付いてくる綱吉の頭を撫でながらすぐに上体を起こそうとして、
がくっ
「おっと!」
うまく行かず、いつの間にか下りて来た白蘭に支えられた。
「…ひぐっ、ひっく…ぅ…ごめん…ごめんね! ムクロ、ごめんね…!」
骸の弱々しいその様子は綱吉の眼を潤ませるには十分だった。すぐに綱吉は大粒の涙をぼたぼたこぼして、骸の胸に抱き着いた。
「ごめんなさいぃ…!」
「大丈夫ですから、泣かないで? ね、綱吉君」
骸は白蘭に支えられていない方の腕を綱吉の背中に回し、安心させるように軽く叩いた。
「それにこういう時は、ごめんなさいより他に相応しい言葉がありますよ」
ね、と綱吉の顔を上げさせて、骸は優しく微笑んだ。
「ひっく…うんっ…ムクロ、ありがとう…! まもってくれて、ありがとう…!」
涙をぼたぼたと骸の胸に落としながら、綱吉も微笑み返した。それは大層引き攣っていたけれど、骸の動かぬはずの心臓をひとつ脈打たせた。
泣き疲れてそのまま眠ってしまった綱吉を部屋まで送ろうと抱き上げようとしたら、珍しく9代目が庭まで来て、更には深々と腰を折って礼を述べてきた。
「綱吉くんを助けてくれてありがとう」
それだけ言うと、いつかの黒服連中に囲まれながら綱吉を受け取り、奥へ戻っていった。
二人はーーー特に白蘭は、複雑そうに顔を歪めていた。
「…ねえ、なんであんな無茶なことしたの?」
白蘭が骸の耳に口を近付けて言った。今夜も隣は騒がしい。
「ああ、今日の木登りのことですか? でも別に無茶ではなかったでしょう」
骸もまた白蘭の耳に口を近付けて返す。
「思いっ切り無茶だったよ! だって、骸君の右腕…とれちゃったじゃない…」
あの時。白蘭が骸を支えたあの時、骸の右腕は別のところに転がっていた。白蘭が綱吉に見えないようにこっそり回収してすぐにくっつけたので、幸いにも綱吉にばれることはなかったけれど。
「別に、とれたところで痛くも痒くもない」
「骸君はそうかもしれないけど、僕は心臓が止まるかと思ったよ」
「おやおや、心配をかけてしまいましたね」
骸は白蘭の白いふわふわつんつんした髪に手を差し込んでゆっくり撫でてやる。
(綱吉君の髪質と少し似てる)
「…っ」
骸が考えが伝わったのか、白蘭は細めていた目を開いて骸を見つめた。
「1番聞きたいことに答えてないよっ。なんで、あんなことしたの。なんの、ために…!」
それは問いと言うには感情が込められ過ぎていた。
じっとりとした視線を涼やかに受け止めて、骸は首を傾げる。ベッドの上に寝転んでいるので、少し動いただけだった。
「なぜ? 愚問でしょう。あのまま綱吉君が落ちたら、怪我だけでは済まなかった」
「僕はそんな答えが欲しいわけじゃない。ツナ君が落ちて怪我したからって何なのさ。別にいいじゃん、少しくらい壊れたって」
「…綺麗なお人形に傷がつくより、綿のないぬいぐるみが踏みつけられる方がずっといいでしょう」
「やめてよ、そういう言い方!」
骸の自虐的な物言いに、白蘭は胸にむかむかしたものを感じて身体を起こした。白蘭はそんなことを思ったことは一度たりともない。だから、骸もそうでなければ等しくない。等号が成り立たない。それに何より、すごく悲しいのだ。どうしたって泣きたくなるのだ。
「僕にとっては、あんなオモチャより君の方がずっとずっと大事だよ! 君のことが大好きだからっ…だから…。…君だって、そうでしょ…?」
祈るような思いで、2色の瞳を見つめる。烈火のごとく紅い瞳も、海を思わせる蒼い瞳も、白蘭にとっては至高の宝玉だ。それ以上に美しいものを、白蘭は知らない。知りたいとも思わない。骸への執着が兄としてのものなのか他の何かなのかはわからないけれど、それでもーーー。
「…あなたがそうなら、僕もそうなんでしょうね」
しかし骸の口から出て来たのは、二人の間でだけ通じる魔法の言葉だった。片方がそうなら、もう片方もそう。でもそれは、無理矢理型に押し込めて形を整えるのと同じことだ。
「…そんな答えも、望んでないよ。ちゃんと、ちゃんと答えて。答えてよ、骸君…!」
いつになく差し迫った白蘭に、骸はどうすればいいのかわからなかった。だって、スキだなんて言われても、理解できない。自分は影だから。白蘭という身体とともにできた影だから。なくてはならない身体に対して、スキもキライもない。
『スキになってあげなきゃかわいそうだよ』
綱吉の言葉が鈴の音のようによみがえる。
(…白蘭は、僕が可哀相だから好きなってくれたのでしょうか。でもそれは、同情とどこが違うのでしょうか)
わからない。わからないけれど、どうしてか今のあなたは泣きそうだ。僕の枯れた涙の分まで、あなたは泣くのでしょうか。
「……」
ぺろ…
上体を起こして、骸は白蘭の目のふちに溜まったものを舐めとった。その味なんてわからないけれど、骸には味という概念自体がないけれど、口内にじんわりと広がった水滴は『しょっぱい』ものらしい。そう教えてくれたのは、白蘭だった。身体を切られると『痛い』ことを教えてくれたのは、白蘭。触れ合うと『温かい』ことを教えてくれたのも、骸の身体がひんやりと『冷たい』ことを教えてくれたのも、花に『香り』があることを教えてくれたのも、マシュマロが『甘い』ことを教えてくれたのも、みんなみんな、白蘭だった。
「…僕にはあなたが必要です。それでは、駄目ですか」
骸の少し困ったような表情に白蘭はほんの少し悲しそうに笑って、何も言わずに骸に覆いかぶさるように唇を求めてきた。
(キスの良さなんて、僕にはよくわからないのに)
骸はいつもされるがままだった。骸が応えてくれるのを白蘭が待っていることを知りながら、骸はずっと何もしなかった。その必要も、意味も、感慨も、何もなかったから。
(…かわいそう、か…)
自分自身に同情して、何になるのだろうか。
わからない。わからないけれど。
でも、もしそこに生まれる何かがあるならーーー
「ん…っ!?」
口内を犯していた白蘭の舌に、別の舌が絡まった。
「ぁ…んん…!」
初めて骸が応えてくれたことで、白蘭は全身を歓喜に震わせた。脊髄にびりびりとした快感が走り、それは大きな心音を伴ってせり上がって息を上げさせる。身体の中心は熱を持って、骸の冷たい身体へと伝わっていった。ぴちゃぴちゃと断続的に響く劣情を煽る音は大きく白蘭の心を波打たせ、どうしようもないほどの幸福感を与えてくれる。
「ふ…ぅ…む、くろ、く…!」
名前を呼んでも、いつも骸は心ここにあらずだった。でも今は、
「ん…びゃく、らん」
綺麗な瞳いっぱいに白蘭を映して応えてくれる。
ぷつん、と白蘭の脳裏で何かが切れる音がした。
白蘭は本能のままに手を骸の寝間着と腹の間に差し込んで、骸の白い肌に触れた。すべすべとしながら吸い付くような肌は、当然幻覚なのだとわかっているけれど、どうしたって気持ちが良かった。
ちらりと骸の表情を窺えば、白蘭が何をしようとしているのか理解していないのか、純粋な瞳で首を傾げていた。
(僕にだけは、無防備でいてね…)
大丈夫だから、と微笑んで、白蘭はもう片方の手で骸の寝間着のボタンを外していく。骸はきょとんとしながらも、同じことを返そうと白蘭のボタンに手をかけた。それだけで白蘭の心臓はどくんどくんと煩く騒いで、口から飛び出すんじゃないかと思う程。それと同時に白蘭の下肢の中心には熱が集まり、大きさを増していく。年齢的に未成熟なはずの身体は、様々な実験と投薬の繰り返しで正常な成長から外れていた。
「骸君」
最後の理性を総動員して、白蘭は声を搾り出す。
「…ごめんね」
白蘭は骸の下履きに素早く手をかけーーー
アッ、ぁあアぁんっ!!
「「っ!」」
突然響いた蕩けた悲鳴に、二人はびくりと身を震わせた。
隣の部屋、すなわち母の寝室からだった。今夜の営みが終わったのだろう、フィナーレを飾った母の声は白蘭に簡単に現実を叩き付けて静まった。静寂は、人に自己の行いを考えさせる。
(…僕、今何をしようとしてた…?)
「…ぁ…ああ…っ!」
あっと言う間に高揚は自己嫌悪にすり替わり、白蘭は両手で自身の顔を覆った。
骸を母のように啼かせたかったわけじゃなかった。あんな汚らわしい行為をさせて、骸をおとしめたかったわけでもなかった。ただ、ひとつになりたかった。2つに分かたれそうになる度怯えることに、疲れてしまっただけ。それだけ、だったのに。
「…ごめん、ごめんねっ…!」
白蘭は枕に顔を押し付けて羞恥と罪悪感とに怯えた。骸の瞳を見ることができない。
「さっきから、何を謝る必要があるのです?」
しかし骸は相変わらず不思議そうで、髪しか見えない白蘭の顔をなんとか見ようとじっと覗き込んだ。同じであるために、些細なこともちゃんと理解したかったし、しなければならなかった。
「教えてください、白蘭」
骸の手に優しく頭を撫でられ、白蘭はようやく顔を骸の方へ向けた。眼と眼の距離が近い。吸い込まれそうなくらい。こんな綺麗な瞳に吸い込まれるなら本望かもしれないなと、なんとなく思った。
「…ううん。ちょっと言ってみたかっただけだから、忘れて」
「そうですか。なら、ごめんなさい、白蘭」
「……何で君が謝るの?」
「あなたと同じで、ちょっと言ってみたかっただけです」
「ふふ、そっか」
「ええ」
いつもよりずっと温かな骸の微笑に、白蘭もつられて微笑んだ。そうやって骸は、白蘭の胸の中のものを全てさらって綺麗にしてしまうのだ。
そういうところも、無自覚なところも、大好き。
「骸君」
「なんですか、白蘭」
「良い夢を」
ちょっと白蘭が報われた話。
結末は決まっているけれど、なんとか白蘭を救ってあげたいなぁ…。
2008.9.8
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