14.水鏡
綱吉の隣を歩く骸は静かだった。お互いに無言のまま歩き続けて、そう長くもない帰り道はもう半分を過ぎていた。
「……あのさ」
意を決し、綱吉は骸を見上げる。年々広まるばかりの身長差のおかげで、表情の薄い骸の眉がぴくりと動くのが見えた。
「今日、さ。ちゃんと、話せたんだよね?」
「……ちゃんとかどうかはわかりません」
「今までよりは、たくさん話せたんだろ?」
「あれを会話と呼べるのなら、ね」
どうにもプラスの方向に行かない会話にため息をつきたくなったが、綱吉は根気よく続ける。
「気持ちのこもった言葉を交わせたなら、それは話せたことになるんじゃないかな。それがどんな気持ちであれ、何かしら得るものはあったはずだよ」
そうだろ、と確認の意をこめて骸の顔を覗き込むと、骸はそれを逃れるように視線を逸らして、また綱吉を見つめ直した。
「……これで君は満足なんですか?」
返ってきた言葉は相変わらずで、綱吉は結局ため息をひとつついた。
「そういうこと言うなよ……。これは俺の問題でもあるけど、それ以前に骸の問題でもあるんだよ。骸はさ、白蘭と話せたことで、もっとやりたいこととか足りないこととか、わからなかった?」
「……別に。足りないこともやりたいことも、以前から変わりはありませんよ。でも、そうですね……ハッキリはしたのかもしれない」
「なら、良かった」
綱吉はそっと微笑んで、以降口を閉ざした。骸もまた口を開くことはなく、そのまま小さな十字路までたどり着いた。ここを右に曲がれば骸の住むマンションが、真っすぐ進めば綱吉の家がある。どちらも目と鼻の先で、ここからゆっくり歩いても数分で着いてしまう距離だ。隣同士だった昔を思えば遠くなったけれど、それでも十分近所と呼べる範囲内だった。
「じゃあ、骸。また明日――」
手を振ろうとした綱吉の手首を骸が掴む。
「……骸?」
あくまで引き止めるだけのそれは、逃れようと思えばいつでも可能だろう弱さで、綱吉は戸惑いつつも骸に向き直った。
「白蘭は、僕のことが大好きだそうです。今日、熱烈に告白されましてね。大好き、愛してる……なんて。――実に滑稽だった」
ぐ、と綱吉は感情を飲み込んだ。
「……そう」
それだけ搾り出して、表情を変えないよう努力する。どんな反応をしてもいけないような気がしていた。
骸はそんな綱吉を注視して、微笑を浮かべる。
「ねえ。僕は君が大好きですよ。安っぽい言葉で申し訳ないけれど、愛しているんです」
「……」
「滑稽でしょうか?」
「……ううん。誰かを好きになるのは、自然なことだよ」
その言葉こそ滑稽だとでも言いたげに、骸はくすりと嗤った。
「自然、ね。僕にはまったく似つかわしくない言葉ですねぇ」
自虐を感じさせずに淡々と呟いて、空いている右手を顎に沿える。
「っ!」
す、と骸の唇が近付くのがわかって、綱吉は全身を緊張させて両瞼をかたく閉じた。
けれど、予想に反して骸の唇が綱吉に触れることはなかった。
恐る恐る目を開ければ、骸の悲しげな双眸がすぐ目の前にあった。
「――ごめん、骸」
「自然なことなんでしょう。……受け入れてください」
「ごめん。ごめんね……。こうすることも、自然なことなんだよ。愛情の種類が噛み合ってないだけなんだよ」
だから、ごめん。
繰り返された謝罪の言葉に、骸は綱吉を捕らえていた手をゆるゆると放した。そして、真剣な眼差しで綱吉を見つめる。
「……綱吉君。十年前のあの日、僕を助けたことを……後悔、してますか?」
どきりとした。そして、直感した。
骸はきっと、綱吉が白蘭に犯されて思わず叫んだ言葉を、知っているのだ。
急激に心音が大きくなった気がした。とても大切なことを、訊かれている。綱吉には無言を貫くことなど出来なかった。嘘をつく勇気もなく、その必要もなかった。
「……後悔しかけたことは、あったよ。でも今は、あの時一瞬でも後悔しかけたことを、後悔してる。あの日骸を助けたことは正しかった。そう、思ってる」
本心を吐露して、綱吉は判決を待った。気分は被告人だ。骸に抗う手段を持たない綱吉の運命は、骸の気分ひとつで決まってしまう。また綱吉は、それを当然のこととして受け止める決意をしていた。
骸はじっと綱吉と視線を合わせたまま黙り込んだが、ふと、花が綻ぶように微笑んだ。
(あ……)
言葉に出来ない懐かしさが綱吉の胸を満たした。
普通の生活を共に模索していた頃、ふと駄菓子屋で見つけたビー玉を買い、骸に渡した時。あの時も、骸はこんな風に微笑んでいた。
「君の口から聞けて、良かった。本当に良かった。僕にとって、君の言葉は何よりの真実だから。胸の底に引っ掛かっていたものがとれた気がします」
「むく――」
ぐいっ、と胸元を強く引かれ、綱吉の身体が前に傾ぐ。
「……ッ」
そこへ掬い上げるようにして骸の唇が迫り、綱吉の唇を奪い去った。ほんの一瞬のことだったけれど、印象的なキスだった。
「……ごめんなさい。やっぱり僕は、君が欲しい。我慢出来ないくらい、君を渇望しているんです。君は本当に優しいから」
「む、くろ……」
「でもね、綱吉君。今、不思議と気分が落ち着いているんです。だからね、僕を拒絶するなら、今ですよ。今ならきっと、心静かに受け止められる。何も言わずに君の視界から消えることが出来る」
「骸……!?」
何を突然、と動揺する綱吉をよそに、骸は劇役者のように大仰に両手を広げてみせた。そこには綱吉を繋ぎとめようという意思が僅かにも存在していない。すべてを受け止める構えだった。
「さあ、言ってください。消えろとでも、いなくなれとでも、お好きな指示をどうぞ。……ああ、君は優しいから、言葉には出来ないかもしれませんね」
戸惑う綱吉に一方的に告げると、骸は握手を求めるような位置で右手を差し延べた。手の平は茜色の空を向き、ダンスの相手を請うように宙に留まる。
「僕がまだ君のそばにいていいなら、この手をとってください。そうでないなら、このまま帰りなさい」
「……!」
「大丈夫、追いませんよ。その時は、僕は霧のように消えましょう。最初から何もなかったかのように、静かに」
「そんな……!」
「勝手なことばかり言ってごめんなさい。今日白蘭と話したことで、僕の望みがとても単純で、きっと永遠に叶うことのない望みであることがよくわかりました。だから……ちょっと、苦しくて。どうすればいいのか、よくわからないんです。だから、君に決めてほしい。それなら、絶対に後悔しないから」
なんだそれ、と綱吉は別の意味で胸が熱くなるのを感じた。ふざけるな、と罵倒してやりたかった。でも骸の真摯な瞳がそれを許さない。
骸は、骸自身の言う通り、とても落ち着いているように見えた。これまでの不安定さが嘘のように、静まり返った湖を思わせる表情をしていた。綱吉の決断は、そこに大岩を投じるだろう。誰にも見えないところで、湖は大波に揺らぐのだろう。
「卑怯、だよ、そんなの! 骸だけ、卑怯だよ……っ」
答えを先延ばしにするためだけの文句を口にしても、骸の表情は凪いだままだ。
「ごめんなさい。今日は謝ってばかりですね、僕。……本当にごめんなさい」
逃げ道を潰され、綱吉は小さく呻いた。もうどうあっても決断しなければならないらしい。どこまでも勝手な骸に、けれど苛立ちを感じることは出来なかった。哀愁ばかりが身のうちから漂っていた。
骸はあまりに綺麗な笑みで、さあ、と促す。
「決めてください、綱吉君」
ああ、判決の時だ。
綱吉はバクバクと煩い胸を服の上から押さえ、荒い息を吐く。骸の顔を見ていることなど出来ず、視線は骸の手に落ちた。
「……俺、は」
答えが、出せない。喉にたくさんの願いがつっかえて、ひとつだけが飛び出すことを許さなかった。
どれも捨てたくないのだ。
「俺は……!」
――親友の骸と、一緒にいたい。
――親友の白蘭と、一緒にいたい。
――親友の双子兄弟と、ずっとずっと一緒にいたい。
単純な願いがこんなにも難しいものだとは、思ってもいなかった。少しのズレは、大きな断層になっていた。十年の月日が重なったそれは、綱吉の知らない色を混じらせていた。もし、もっと早くに骸の気持ちに気付いていたなら――。
(……卑怯だよ、本当に)
ぐ、と息を詰め、綱吉は顔を上げた。骸は身じろぎすらしなかったけれど、必死にそうしようと努めているのがわかった。
お互いに、必死だった。
「骸……!」
綱吉が、動く。
「っ……!?」
綱吉は骸の胸に顔を押し付け、強く抱きしめていた。
「……また、明日」
骸が何か言うより早く、綱吉は両手を突っ張って骸から離れ、すぐに踵を返して十字路を駆けた。真っ直ぐ、自宅へと帰っていった。
「……君も、卑怯ですね」
握られることのなかった手を胸にあて、骸は綱吉の言葉を心の中で何度も反芻した。
「……どっちかわかりませんよ、それじゃ」
湖には小さな波が立ち綺麗な音を残し、静まった。
次の日の朝。
綱吉の言葉を想い、骸は沢田家の前に来ていた。
綱吉は昨日、また明日、と言ってくれた。
それは単に結論を先延ばしただけの逃避ともとれるけれど、骸は案外と軽い足でここまで来ることが出来た。拒絶されるかもしれないと怯えたけれど、綱吉の曖昧な言葉はある意味では救いのように思えた。
「……」
少し心を落ち着けるために、深呼吸をしてみる。落ち着いたのはこの痩せ細った身体だけで、あまり骸自身には効果はないようだ。玄関の柱に張り付いたドアホンの無機質なボタンを見つめ、やはり躊躇ってしまう。
「……なにを、今更」
軽く頭を振り、骸はインターホンのボタンを押した。
――ぴんぽーん。
定番の電子音が鳴る。本来なら次に家主が出るのを待つのが普通だが、骸が来るのはもはや毎朝の習慣なので、勝手に入っていいと許可をもらったのは随分と昔のことだ。
「失礼します」
律儀に挨拶をして、玄関の戸を開ける。最初の頃は、綱吉の母である奈々が出迎えて「いらっしゃい」と丁寧に言ってくれたものだが、いつの頃からか出迎えはなくなり、当然のようにリビングから「おかえりなさい」と声だけするようになったものだ。そうして勝手に綱吉の部屋に上がり込み、容赦なく綱吉をたたき起こすのが常だった。そういうある種ぞんざいとも言える扱いが、骸にとっては嬉しいものだった。
「……?」
しかし玄関で靴を脱ごうとして、気付く。いつもなら綱吉のスニーカーや家族共用のサンダルが並んでいるのに、今日は一足もない。
「奈々さん?」
胸がざわめいていた。
包丁の音がないのだ。皿を並べる音がないのだ。
そして、奈々の声がないのだ。
あたりは不気味なほどに静まり返っていた。
「……入りますよ」
骸はざわつく胸を押さえ、足早に廊下を進んだ。リビングの磨りガラスに人影はない。扉を開けて確かめようかとも思ったが、それよりも人の気配のない二階綱吉の部屋が気にかかった。
「綱吉君……?」
いつになく足音を荒げ、階段を駆け登る。階段を上がってすぐ右が綱吉の部屋だ。
「…………」
扉の前で、立ち止まる。開けるのが怖いと思ったのは初めてだった。
「綱吉君……」
コンコン、といつもはしないノックをする。返事はない。
開けなくてはならないのだろうか。返事も気配もないのに。恐ろしい事態が待っているとしか思えないのに。
「つな、よし……綱吉、君……」
左の眼窩に収まっているビー玉を確認するように撫で、逆の手をノブにかける。
「……入りますよ?」
キィ、と軋む音がよく響く。他に音がない。ゆっくりと扉を押し
「つ、な……」
広がった光景に、骸は笑い出したくなった。
「正ちゃん、こんなんどうかなぁ?」
書類やらデータディスクやらが散乱する正一のデスクに、白蘭は新たな紙束を遠慮なく広げた。それは数時間でまとめたとは思えないほどの量で、図などは手書きのへろへろした線が目立つものの、その内容には密度があった。
「けっこういいと思うんだけど」
「はあ……」
視線で促されて、正一は斜めにざっと目を通し始める。けれどそれはすぐに熟読の構えになり、眉間には深い皺が走った。
「……白蘭さん、冗談が過ぎますよ」
「じょーだんなんかじゃないって。本気だよ、本気。いけそうな気がするでしょ?」
「……簡単に言いますけどね、いろんな意味で無理がありますよ」
ばさりとぞんざいに紙束を放り、正一は額を押さえた。
「いろんなって、どんな?」
「倫理的にも可能性的にも、僕の気持ち的にも、です」
「ええー? ていうか、可能性がうんぬんはともかくとして、倫理と正ちゃんの気持ちってのは何さ」
「そのまんまですよ。僕、けっこうマッド・サイエンティストみたいなことしてますけどね、さすがにこれには抵抗があります。仮に白蘭さんが土下座したってやりませんからね」
一応上司と部下にあたる立場だというのにあっさりと首を振った正一に、白蘭は顔をしかめる。
「ちょっとは迷おうよ、正ちゃん……」
「あのねぇ、クローンとの意識の連結だって、僕としては反対だったんですよ! それを無理矢理通したことを忘れたんですか!」
「キレないでよ、正ちゃん。結局はうまいことやってくれたでしょー?」
「渋々ですよ、渋々! それに、実行するまで枕元でお経のテープ流し続けたのは誰ですか! しかも変に古くて気持ち悪い音の入ったヤツ!!」
「あはっ、根に持つね〜」
「根に持つどころか完全なトラウマですよ! 僕もう仏教徒のお葬式とか二度と出られません!」
「耳塞いでればいいじゃない」
「そんな失礼なこと出来ますか!」
「耳栓ならバレないって」
「故人の霊にはバレますよ!」
「ええー? 正ちゃんてば幽霊とか信じてるの?」
「しっ、信じてません! ていうか、話を変な方向にすり替えないでくださいよ! とにかく、僕はこんな実験には反対です! 絶対やりませんからね!!」
少し息を切らせた正一は、胃のあたりを押さえて言い切った。白蘭の無理なお願いになんだかんだで応えてきた正一だったが、さすがに今回ばかりは首を縦に振ることが出来なかった。
「えー……。いや、いきなりやれとは言わないよ? なんかこう……えーと、なんとかして試してからさぁ」
「その『なんとか』が出来ないから問題なんでしょうが! いきなり本番でうまくいかなかったら、弟さんだって救われませんよ!」
即座に噛み付かれ、白蘭は本気で眉をしかめた。正一の協力が得られなければ、もともこもない。白蘭は正一の知識や機転を誰よりも信頼していたし、そしてそれは世間的に見ても通じる評価であった。
とにかく正一を説得しなければ、と白蘭は諦めない。
「そうだけどさぁ、でも正ちゃんなら僕の心情とかわかってくれてるし、骸君とのアレコレも概ね知ってるし、僕がこの実験に賭けるものの重大さを理解してくれるでしょう? これは、僕のすべてを賭けるに値する、唯一のものなんだ。僕が生きて来た意味は、全部ここに集約する。こうでもしないと、骸君は――……あ、れ?」
急に言葉を切って、白蘭は鼻を鳴らした。
「どうしました?」
「…………焦げくさい」
「はい?」
「考えるのに夢中で気付かなかったけど、ここじゃないどこかが、焦げくさい……!」
白蘭は目の色を変えて自分の手足に視線をやった。
「それに、さっきからずっと、骸君が動いてない! 音もしてない……!」
「え……」
「変だ。この臭いは何? 骸君は? もう寝たの? いや、違う。この感じ……座ったまま? なに、どうして動かないの……?」
動揺を隠せない白蘭を目の当たりにして、正一は慌てて携帯電話を操作し、一定のリズムを刻む画面を出した。
「白蘭さん、落ち着いてください。数値に異常はありません」
それは、未だ試験管の中に浮かぶ白蘭のクローン体の変化を通じて、骸の状態を知るものだ。白蘭自身を始め、白蘭のクローン体は意識を共有し、互いの変化を共有する。骸に何かあれば、少なからず白蘭たちにもその影響があるはずだった。
「少なくとも彼は無事ですから、まずは落ち着いて――」
「失礼します」
突然割り入ってきたのは無感情な女の声だった。振り向けば、褐色の肌に桃色の髪、更には特徴を隠す黒い覆面顔の女が立っていた。
「チェルベッロ! こんな時に……っ。なんだ、報告か?」
「はい。大きな変革が訪れようとしています」
「変革だと?」
「ボンゴレ九代目が危篤です。場合によっては、近いうちに十代目が選出されるでしょう」
「っ!!」
淡々と紡がれた言葉に弾かれたように顔を上げたのは白蘭だ。
「十代目はツナ君だ……! 傍流だろうと、ボンゴレの血筋はもうツナ君しか残ってない! ボンゴレ側もわかっているはずだ……だから……っ」
言い切るのも惜しいとばかりに、白蘭は出口へ走った。
「白蘭さん、どこへ!?」
「ミルフィオーレ隊員全員集めてボンゴレ本部を監視させて! 指揮任せたよ、正ちゃん!」
「ちょ、白蘭さん!!」
止めようと伸ばした手は掠りもせず、白蘭の背中は白い壁の裏へ消えた。
遅くなって申し訳ないです!
今回は起承転結で言うところの転の話にあたります。
九代目の容態が以前から悪かったという情報は、一応どっかで白蘭に『死にぞこないのジジイ』とかなんとか言わせてたような気がしなくもない……けど、どうだったかなぁ←
もしくは、ツナは以前から十代目就任を請われていて、それを拒み続けていたというあたりに伏線もどきを張っていたのですが、成立してるのかは謎です(笑)
そんなこんなで、三人の転機です。
もう少し続きますが、お付き合いくださいませ〜。
2009.6.27
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