12.交差




『僕さ、骸君と全部おんなじがいいけど、目の色だけは今のままでいいな〜』
『……僕の目は嫌いですか。なら、右目は無理ですけど左目の色は変えられますから、白蘭みたいな菫色にしましょうか?』
『ち、違う違う! 骸君は今のままでいーの! そうじゃなくてね、骸君の目、綺麗で大好きなんだけどさ、だからこそ骸君だけのものでいいな〜って。骸君には今のままでいてほしいよ』
『……僕は、あなたの目の色、気に入っていますけどね』
『え……?』
『こじつけみたいですけど、僕の両目の色を混ぜると紫色になるでしょう? 些細なことですが、あなたと近しい気がして安心するんです。その菫色の瞳は、優しい色合いですよ』
『……そっか、そうだね! ふふっ、僕、五分前より自分の目が好きになったみたい! さっすが骸君! さっすが〜!』









 ――さすが、骸君。

 僕もね、この菫色、好きになれたんだよ。

 骸君の紅と蒼と並ぶとさ、なんかすごくイイ感じだし。

 骸君が気に入ってるって言ってくれて、嬉しかったし。

 うん、嬉しかったよ。

 嬉しかったんだよ……。









「…………」
 目尻を滑り落ちる濡れた感触に、白蘭は静かに瞬いた。瞼に押されて余計な水分が流れてしまえば、潤んだ瞳でも周囲の状況をはっきりと把握出来た。
「……丁重な扱い、どーも」
 嘲るように軽口を叩きつつ、白蘭は内心はっきりとため息をついていた。
(……どう転んでも嫌な状況だなぁ)
 鼻から息を吐きながら、どうしたものかと目にかかる前髪を掃おうと手を上げれば、顎にすら届く前に手首にはめられた手錠に戒められた。それが無性に気に食わず、白蘭は思い切り手を振り上げた。

「ひっ!」

 大きな音と同時に小さな悲鳴が上がった。
「……ツ〜ナ君。これ、うざったいから外してくんない?」
 悲鳴のした方に視線を向けて、白蘭はあからさまな作り笑いを浮かべた。
「トモダチでしょ? 外してよ」
 ちっとも笑っていない目は、随分と離れた位置に座る綱吉に向けられていた。椅子に膝を抱えて小動物か何かのように小さく腰掛ける彼は、ジーンズに黄色いパーカーの私服姿だった。その手首にはシンプルなストラップが提げられ、その先には見覚えのあるデジカメが揺れていた。
(……早速盗られちゃった。馬っ鹿みたい)
 軽く舌打ちをしつつ、辺りを見回す。
 天井はもちろん、白蘭が仰向けに寝かされて四肢を拘束されているベッドも見覚えがあるものであることから、ここがかつて沢田屋敷などと呼ばれていたボンゴレの屋敷であることがわかった。窓の外は明るい。昼間なのだろうか。最後の記憶は放課後の屋上だ、ひょっとしたら一日くらいは経過しているのかもしれない。
 白蘭はボンゴレファミリーに捕らえられていた。
「ねえお願い、外してよ。ね? 外して〜、お願いっ! 外してってば。ツナ君、外して? ……外してって。外せ。外せよ!!」
 鎖がガチャガチャと盛んに喚く。その度に綱吉は耳を押さえる手に力を込め、悲鳴を押し殺した。その様は白蘭の神経を逆なでするものでしかない。
「ああもう、うざったいなぁ! これ誰の趣味なワケ? あの死にかけのクソジジィ? それとも意外や意外、ツナ君てばそういう性癖があったわけ? カワイイ顔してやっぱりマフィアなんだねぇ! 拘束プレイなんてマニアックなことして感じちゃうんだ? ああ、実は今も股間濡らしてんのかなぁ? どうなの淫乱ツナ君。僕、興味津々なんだ。教えてよ〜。ねえ。……なんとか言いなよこの性奴隷が!!」
「ひっ! ふ……っ、ぅぇ……っ」
 酷い罵りに綱吉はついに泣き出し、必死に首を左右に振った。なんとか否定を口にしたくとも、震える喉は単語を紡ぐことすら出来ず、意味もなく鳴くばかり。
 そしてそれは更に白蘭の琴線をぞろりと撫で上げる。
「……ねぇ、とっととコレ外してよ。大丈夫、今ならフェラくらいで許してあげるからさぁ。ほら、聞こえないわけ? まったく……ちんたらのろのろとうざったいんだよ! 何泣いてんの!? 自分が優位に立ってるくせして何怖がってんの!? 泣きたいのも怖いのも、こっちの方だ……!」
 白蘭の声が弱々しく揺れたのに驚いて、綱吉は恐怖も忘れて顔を上げた。
「びゃ、白蘭……?」
「……そのいかにも同情してますって顔やめてよね。気っ持ちわるー……」
「ど、同情とかじゃ、ない。そうじゃなくて、白蘭、やっぱり……骸とは……」
「は、別にどうだっていいでしょ。僕ら兄弟の問題だし、君には関係ない」
「で、でも――」
「うるっさいなぁもう!! ホント、黙っててよ……!」
 最後のそれは悲鳴のような声だった。どこか救いを求めるような切ない声。語尾は情けなく裏返っていた。
 きっと白蘭は綱吉の手など求めてはいないだろうけれど、本当に求める手は別のものだろうけれど、綱吉は考えるより先に動いていた。
「…………」
 ぺたり。静かに椅子を降りれば、硬質な床の冷たさが素足を通して伝わってきた。
 白蘭が胡乱げな視線を寄越す中、綱吉はぺたぺたと小さな音を立てて白蘭を捕らえている寝台に歩みより、すぐ脇に立った。そして白蘭を悲しげに見下ろし、ジーンズのポケットに手を入れる。
「……何。熱〜い鉛玉でもくれるの? いいね、大歓迎だよボンゴレ十代目。ふふっ、案外気持ち良くてハマっちゃうかも――」
 白蘭が軽口を叩く間に、綱吉は取り出した小さな物を白蘭の左手首を捕らえる手錠に差し込んだ。
「……っ?」
 びくりとして手を引こうとする白蘭をがしりと押さえ、綱吉は強い意思で手にしたそれを回した。何かが外れる音がした。
「……なんのつもり? 恩でも売ろうってワケ? 言っとくけど、恩返しなんて期待しない方がいいよ。元々拘束したのはそっちだし。それに今すごくお腹空いてるから、油断してると君をパックリ食べちゃうかも。いくら食べたって満たされないからね、君の頭から内臓から爪先まで全部食べちゃうよ? くだらない同情はやめとけば?」
「ち、違う、よ。本当に同情じゃなくて。ただ……ただ、俺は、昔に戻りたいだけ……なんだよ。骸と俺は親友で、骸と白蘭は仲良しの兄弟で。それに、白蘭は嫌かもしれないけど、俺と白蘭も……親友で。マフィアとか全部関係なくそうやって過ごせたら、きっと楽しいよ。絶対、楽しいはずだよ。だからさ……きちんと話し合おう。骸とも。俺とも。俺も骸とちゃんと話すから、だから白蘭も――」

 ぞくん。

「ぁ……ッ!!」
 綱吉は言いようのない悪寒に小さな悲鳴を上げた。
「なに……?」
 白蘭が不審そうに見つめる中で、綱吉はぶるぶると震え出した。
「む、骸だ……骸が来てる!」
 綱吉の切羽詰まった声に、白蘭は戸惑いつつも目を閉じた。
(……あ)
 瞼の裏に見えたのは薄桃色の液体越しの無機質な空間ばかりだった。たくさんの自分が並ぶ薄暗い部屋。いつも見えていたはずのもうひとつの視界はない。
(そうだ……もう、目は……)
 今になって喪失感が溢れ、白蘭は奥歯を噛み締めた。
 せめてもと聴力に意識を集中すれば、泡が弾ける音に混じって僅かに愛しい声がする。


『ここに、綱吉君がいらしてますよね。迎えに来たので呼んでいただけますか』
『綱吉殿は来客中だ。用が済み次第、我々が送ることになっている。早々に帰られよ』
『来客……? 誰です?』
『……答えかねる』
『ふぅん。あなたは役立たずなんですね』
『な……あ、ぅ!? っ――』


「――白蘭早く逃げて!」

 悲鳴が続くだろう男の声は、がちゃがちゃと耳障りな音に掻き消された。見れば綱吉が必死になって白蘭を繋いでいる手錠を外していた。
「骸、すごく怒ってる……! 今の骸にはきっと会わない方がいい。ううん、絶対に会っちゃ駄目だ。だからっ――」
 その時だった。屋敷の至る所から男女入り交じった奇妙な声が上がったのは。
「ひっ……ぅ、この、感じ……!」
 まるで空気がタールか何かに変わってしまったかのようだった。ねっとりとした湿気を含んだ風に舐め上げられているような、ぞっとする感覚。
「……骸君の、幻覚汚染……!」
 焦りを帯びた声は白蘭。解放された両手で上体を起こし、何かを堪えるように眉をきつく寄せていた。耐性はあっても、骸の歪んだ力は身体の繋がりを通して脳に直接何かを叩き付けてきた。無意識なのだろう、それは明確なイメージを持っていなかったが、それだけに骸の感情を直接的に伝えてくる。
「……君を、捜してるんだ。僕は言われなくとも出ていくよ。骸君は僕がここにいることを望んでいないから」
 白蘭は綱吉の手から鍵をとり、自身の足枷を外した。その際、ちらりと綱吉の悲痛な顔が目に入り、白蘭は苦笑を貼り付けた。
「言っとくけど。僕が君に望むのは、君が骸君の願いを叶えることだけだよ。骸君の思うままに、従順に、骸君のためだけに。骸君が君の身体を望むなら、黙って足を開けばいい。骸君が君の心を望むなら、君は骸君だけを求めて隷属を誓うんだよ。君のすべては骸君のものなんだから。……余計なことには口出ししないで」
 空気が更に濃度を増す中、白蘭は寝台から降りて綱吉に背を向けた。綱吉からは白蘭の表情は窺えないけれど、そこにあるだろう切なさを思うと勝手に涙が滲んだ。白蘭にされたことは許しがたい。でも、骸の兄としての白蘭を知ってしまえば、その感情を憎悪という形にするのは難しかった。
 綱吉は、無理に微笑んで初めての友達に手を振った。
「また、明日ね、白蘭」
 ――もう片方の手に提げていたデジカメを差し出して。
「……君って、マシュマロみたいに甘いよね」
 白蘭は呆れたように嘆息し、振り返りざまにそのデジカメを受け取るや否や床に落とした。そこへ無造作に足を振り下ろす。

 がしゃんっ。

 ほんの一瞬のうちに、それはもうスクラップに転じた。
「……じゃーね」
 それを見ることもせず、白蘭はあっさりと踵を返す。綱吉が最後に見たその表情には、十年前の静穏な日々の面影が少しだけちらついていた。
 白蘭はそのまま迷いなく巨大な窓の外へ身を躍らせ、昼の白い光の中へ消えた。
「……白蘭……」


「綱吉くん、どこですか?」


「――ッ!」
 少し遠い声はやけに耳に残り、綱吉の肌を粟立たせた。
 コツ……、コツ……、と殊更にゆっくりと足音が迫る。それに反比例するように綱吉の心臓は早鐘を打ち、すぐにでも逃げ出したくて仕方がなかった。悪寒は強まるばかりで、直感は警報を鳴らし続けている。
 けれど、逃げるわけにはいかない。


「ねえ。早く出て来てくれないと、すごくね……苛々してしまって。全部壊してしまいそうなんです。だから早く出て来て?」


 徐々に迫る声はまるで妖の鳴き声か何かのような不気味な底知れなさがあった。
「……くっ……」
 綱吉は重力が倍加している錯覚に抗い、少し離れたところにあるテーブルに駆け寄った。可憐なチューリップが活けられた一輪挿しを素早く床に降ろし、掛けられていた純白のテーブルクロスを剥がしとる。そして即座に寝台に戻るとそれで先程まで白蘭を繋いでいた手錠や足枷を覆い隠した。


「綱吉君……。ねえ、綱吉君綱吉君綱吉君。どこですか? ……ここ?」


 カチリ、とノブが少し動く。
「はぁっ、う、はぁ……、はぁっ、はぁっ」
 気持ちの悪い汗が綱吉の額や背中を流れ、全力疾走でもしたように息が乱れた。どくりどくりと心音がうるさい。けれど綱吉はほんの数秒呼吸を整えると口を開いた。
「骸、俺、ここにいるから。どうぞ、入って来て」
 その途端、骸の力が生んでいた圧力が少しだけ薄れた。
「綱吉君?」
 ノブが完全に回されて豪奢な扉が押し開かれる。
「……ああ、やっと見つけた。捜しましたよ?」
 骸は淡く微笑んでいた。その手に、真っ赤な鮮血を滴らた三叉の短剣をぶら下げて。
「……っ、!!」
 悲鳴を上げそうになるのを堪え、綱吉は寝台に後ろ手に縋るようにしてなんとか立ち続けた。
骸は綱吉の不自然な行動を気にしたそぶりもなく、微笑を貼り付けたまま綱吉へと接近する。
「朝ね、いつものように君を迎えに行ったんです。でも君はいなくて、奈々さんに聞いたらボンゴレ邸に行ったきりだとおっしゃって……」
 骸は綱吉と視線を絡めたまま綱吉の背に腕を回し、抱き寄せた。手にはまだ短剣が握られたままで、綱吉の背中には濡れた硬い感触がある。痛みはなくとも、切っ先を突き付けられたに等しい恐怖があった。
「どうして僕に何の連絡もなしにいなくなったりしたんです?」
「……そ、それは……っ」
「それは?」
「……ッ」
 背中に当たっている金属が僅かにずらされ、尖端がチクリと肉に食い込んだ。瞬間的に恐怖が脳を埋め尽くし、絶叫を上げる一歩前だった。

「いいんですよ、綱吉君」

「……?」
 突然その感触は霧散という言葉そのままに湿った霧となり消えた。骸が与えるプレッシャーもほとんどゼロと言っていい程に薄まり、逆に綱吉を労るような手が綱吉の頬を撫でる。
「昨日は怒らせてしまったでしょう? ごめんなさい。どうか機嫌を直してください」
 頬を撫でていた手を滑らせ、綱吉の茶色の髪を梳く。耳に吹き込むような囁きは、どこか甘い。
「ね、ほら見てください。左目、綺麗になったでしょう?」
「え――」
 鼻と鼻が触れるほどに骸の顔が接近し、綱吉の視線は自然と骸の色違いの瞳に釘付けにされた。
「君がくれたビー玉。今でも僕の大切な宝物なんですよ」
「あ……ぁっ」
 骸の左目に映る自分の姿の奥に仄暗い血の色を見つけて、綱吉は目尻に涙を溜めた。屋上での白蘭が思い出され、そして今日の白蘭が思い出され、涙は頬を滑り落ちる。
「クフフ、泣くほど嬉しいんですか? 君が喜んでくれて、僕も嬉しい。これで綱吉君の言う『あの頃』に少しは近付けたでしょう?」
 骸の声は、ほとんど綱吉の耳に届いていなかった。


『僕が君に望むのは――』


 想像を絶する痛みを乗り越えて、それでも骸を想う彼の言葉が蘇る。
「……うん、そうだね」
 綱吉は未だ涙を零したままに微笑んで首肯した。骸の望む答えを口にして。
 骸は嬉しそうに綱吉の頬に唇で触れ、綱吉の身体をより強く抱きしめた。
「……良かった。ああ、それと食事もね、君が望むのなら摂ります。でも出来れば、綱吉君に作ってもらいたいんです。……ダメですか?」


『君が骸君の願いを叶えることだけだよ』


「……いいよ。慣れないけど、頑張るよ」
 綱吉が再びコクリと頷けば、骸は目を細めて幸せそうに笑みを深め、綱吉を更に抱き寄せる。
「あの、あとですね、君の手で食べさせてほしいんです。ね、いい?」


『骸君の思うままに、従順に、骸君のためだけに』


「……うん、いくらでも」
「本当ですか? クフフっ」
 骸は感極まったように綱吉の頬に自身の頬を擦り寄せたかと思えば、滑るように綱吉の唇を奪い、即座に隙間を探る。本当に喜んでいるのだろう、それは貪るようなものではなく、確かめるような柔らかなものだった。


『――君のすべては骸君のものなんだから』


「ふ、ゥ……っ、ん……」
 けれど。それがどんなに柔らかな口づけでも。蕩けるほどに甘い口づけでも。綱吉は流れる涙を止めることは出来なかった。瞼を閉じれば目尻から涙の線が途切れることなく続く。誰のための涙かもわからない。綱吉は熱を持った身体が動くままに口を開いて骸を受け入れ、両手を骸の後頭部に宛がい、引き寄せる。
「ん……」
 骸は少し驚いたように瞼を揺らしたが、すぐに両目を閉じて綱吉の粘膜に意識を集中していた。
「ん、ン……ふぁ、っ……ぁ……!」
 骸が綱吉の舌を弱く吸えば弱く、強く吸えば強く、綱吉は骸の望むままに行為を返した。深い痺れが背筋を犯して力が抜け、崩れ落ちても。骸がゆっくりと綱吉の肌に指を這わせても。綱吉は骸であって骸でない身体を感じて涙を流し続けた。























白蘭と綱吉との仲が改善……とまではいきませんが、少し変わってきた回ですねー。
そしてデジカメ早くも引退(笑)
本当はこう、デジカメの中身を骸さんが見てしまい、ワォ!でぐちゃどろ〜になる昼ドラ的展開も考えていたんですが、そこは管理人的『白蘭ハッピープラン』のもと変更されました。
前回のあとがきで白蘭が不幸な方向に話が進むと書いたのですが、ちょっと今回光が見えちゃいましたね。
ただ、白蘭はやっぱり一筋縄では幸せにならないようです。
そこらへんはまあ、次回あたりに匂わせられるといいな〜。

あ、ちなみに白蘭が言った『骸君の幻覚汚染』については、『幼き〜』の方の最終話あたりでちょっと語られるものです。
ちょっと書き直しているので、『幼き〜』の最終話はもう少し時間がかかりそうです。


2009.4.9




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