10.連関




 昼休みはいつも屋上で食べていた。とは言っても食べるのは綱吉だけで、その間、骸は綱吉が興味ありそうな話をしながらそれを見ているだけ。それがいつもの生活だった。
 のんびりと間延びしたチャイムが鳴って、教室の中はにわかに騒がしくなっていた。人気のパンを求めて購買に走る者、いい席を求めて食堂に走る者、余り物でいいやとのんびり構える者、弁当を片手に机を合わせる者、お気に入りの場所へ向かう者、それぞれが慌ただしく動いて活気づく。
「綱吉君、行きましょう?」
 骸にいつものように呼ばれて、びくびくしながらもその手を取ろうとして、気付いた。
(……白蘭がいない?)
 先程まで席についていたはずの白蘭の姿がいつの間にかなくなっていたのだ。てっきり骸に付き纏うかと思ったのに。
 綱吉は白蘭が怖かった。思えば十年前、二人きりになって怒鳴りつけられたあの時からそれは始まっていたのかもしれない。でも今はいない方が怖い。骸と二人きりの方が、ずっとずっと怖い。
「ね、ねぇ骸、たまには教室で食べない?」
 綱吉の苦し紛れな提案に、骸は眉をひそめた。
「……ここは少し煩いですが?」
「そ、そうかもしれないけど、でも、」

「綱吉君は、人に見られるのが好きなんですか?」

「え――?」
 綱吉は、息を詰まらせた。
(今の、なんか、変な質問だよね……?)
 嫌な、予感。綱吉は肩を強張らせて思わず唾を呑む。
「僕は周囲の人間なんて気にしませんけど、君は気にするタイプですよね。それに僕とて、可愛く乱れた君を他者に見せるのには抵抗がある。独り占め……したいんですよ」
 その発言の意味を、綱吉はゆっくりゆっくりと、何かに浸食されるようにじんわりと理解していった。嘘だろ、と小さく口の中だけで呟いて、綱吉は一歩後ずさった。
 だが目ざとく気付いた骸が綱吉の細い手首を捕らえて、悪戯っぽく笑う。
「クフフ、怯えずとも大丈夫ですよ、前みたいに痛くしません。優しくしますから、安心して?」
 絶望的な言葉を容赦なく囁いて、骸は屋上へ向かうべく綱吉の手を引いた。指と指を絡めるそれは決して強引ではなかったけれど、綱吉の反抗心を削ぐには十分だった。























 人気のない非常階段の更に死角にあたる場所。常に日陰なんじゃないかと疑いたくなるじめじめした場所に、白い影がうずくまっていた。
「……白蘭さん」
 両足を抱えて小さく震える白蘭から数歩離れて、正一は悲しげに睫毛を揺らした。昼休みに入ってすぐ正一は白蘭の元へ急いだ。けれど教室には白蘭の姿はなく、そして骸と綱吉の姿もなかった。仕方なく生徒が誰もいないような場所に目処をつけて探しまわった末、辿り着いたのがここだった。
「うっ、ぁ……っ……」
 白蘭はこみ上げてくる何かを必死に堪えているようだった。時折零れる、情欲まみれの熱を帯びた声は切ない。それはどんどん高まっていくようで、正一はそっと自身の耳を塞いだ。きっと白蘭は、聞いてほしくないだろうから。

「っ、ぁあッ……!!」

 ほとんど叫びに近い短い音は、それでも僅かに正一の鼓膜を震わせた。
「……ぁ、はぁ……」
 肩で息をする白蘭を見て、正一は耳にあてていた手を離し、持っていたミネラルウォーターのペットボトルを白蘭に差し出す。
「……ありがと、正ちゃん……」
 小さく礼を言って白蘭は蓋を開け、一刻も早く熱を忘れようと一気飲みに近い勢いで水を嚥下した。冷えた水分が渇いた喉を通って、身体全体の熱が急速に冷めていく。
「足ります? もう一本持って来ましょうか?」
「……ん。ううん、いいや。もう、大丈夫だから。でも、ひとつ頼んでいい?」
「何ですか?」
「何でもいいからさ、僕に話し掛けててくれないかな」
 そう言って正一を見上げた白蘭は、普段の自信に満ちた表情など仮面のように無惨に剥がれ落ち、痛いほどに歪んでいた。
「――ええ」 
 意図を察して、正一は頷いた。今の白蘭は耳を塞いでも音を遮断することはできない。ここにいる白蘭が音を拒んでも、屋上にいるもうひとりは、そうではない。
「……そうですね……じゃあ、どうして白蘭さんはそこまでするんです?」
「あ、あのねぇっ、普通ここでそういう話する? こういう時ほどいつものメンデルだのワトソンだの力学だのと小難しい話を振ればいいのに」
「こっちの方が気を紛らすにはいいでしょう? ほら、答えて下さいよ。どうして彼のためにそこまでするんですか?」
 白蘭は呆れたような困ったような苦笑を浮かべて、でもしっかりと答えた。
「……僕が骸君の生命を奪ってしまったから、だよ。ちゃんと生きて世に出るはずの骸君は、僕のせいで死んでしまった」
「でもそれだって、身勝手な大人のせいなんでしょう?」
「まあ、ね。でも事実は事実。……この左目の下の痣さ、骸君に付けられたんだ」
 三本の爪痕のようなそれに指を這わせて、白蘭は呟いた。
「骸君は生きたがってた。生きたくて、死にたくなくて、もがいてあがいて、死にながらにして生きながらえた。僕は何にも出来ずに見ているだけしか出来なかったよ。同じ胎内で、あんなに……あんなにも、傍にいたのに。必死の声を、確かに聞いていたのに。僕は助けてあげられなかった……」
「だから、今……ですか」
「たぶんそれだけじゃないけど、まぁ、そういうことなのかな……。一言でサクッとまとめると、ようするに単なるエゴだよ。骸君は、こんなこと望んでなんかいなかったはずだしね」
「……あなたは欲が強すぎるんですよ。親愛を得たくて、ひとつになりたくて、そのくせ恋愛したいなんて。まったく欲張りなんですから」
「フフ、そうかもね。でも、それくらい好きなんだよね……やっぱりさ……」
 胎内に自分以外にもうひとりいることに気付いた時、それは始まった。狭い中で骸と共に成長している時、それは果てを知らず膨らみ、骸がその未発達の指で白蘭の頬に触れた時、その瞬間にそれは爆ぜた。あの、目を開けていられないくらいの命の光。祈りのような閃光は、しかしすぐに消えた。呪いのような痕を遺して。そうして次に目を開けた時に見た紅と蒼の歪な美しさを、ゆっくりと微笑んだその眩しさを、白蘭は今でも忘れることが出来ないでいた。
 骸が愛しているのが白蘭ではないことは、当然わかりきっていた。今も白蘭の耳とは別のところから聞こえる一方的な睦言は、すべて別のひとりに向けて囁かれているのだ。
 白蘭は思う。報われる時がいつか、いつか本当に最後の最後には来てくれるのではないかと。けれどそんな希望はいつまで持つだろうか。それとも、実はもうとっくにその可能性を自分自身のうちで否定しているのだろうか。
「あーぁ……どこで間違えちゃったかなぁ……。ひょっとして、最初っからかなぁ……?」
 んー、と伸びをして、白蘭はちゃらけた仮面を被り直して飄々と呟いた。
「……あなたの場合、間違っているんじゃなくてうねうね蛇行しているだけだと思いますよ」
 正一の返答に、白蘭はけらけらと笑った。
「言うね〜、正チャン!」
「ふふ、あなたには似合ってます。そういう、素直じゃないかんじ。ああそうだ、ずっと言っていなかった気がしますが、僕があなたに協力している理由、単に恩があるからじゃありませんからね」
「え、そーなの?」
 きょとんとする白蘭に対し、正一はイタズラっぽく微笑んだ。
「お子ちゃまにはお目付役が必要でしょう? ほっとくと白蘭さんはワガママし放題じゃないですか。世界経済的にも大変よろしくない。僕のモラルが許さなかったんですよ」
「ははっ、じゃあ正ちゃんは正義の味方かな〜?」
「友人の味方、ですよ」
「……そっか。うん、そうかもね」

 キーンコーンカーンコーン……。

 予鈴が鳴って、ざわざわと人が動く気配がした。しかしどうやら屋上の二人――いや、骸は教室に戻る気などさらさらないらしい。そうなれば当然のごとく綱吉も戻らないだろう。
「さて! じゃあ僕はあえてつまんない授業で気を紛らわせようかな。あ、正ちゃん、着替えとか持ってたりしない?」
 軽く聞けば、どこから取り出したのか速やかに替えの制服一式が差し出された。もちろん下着もある。
「準備いいね正ちゃん! ありがと〜」
「教師いじめて騒ぎ起こさないで下さいよ?」
 ――あとは釘を刺さなければ完璧だったのに。
 白蘭は着替えを受け取って苦笑を返すしかなかった。

「それは骸君次第だよ」



















(腰、痛い……)

 屋上の柔らかくもないコンクリートの上で抱かれ、綱吉は内側と外側との痛みに涙を滲ませた。先日に比べればいくらかマシな状態だったけれど、それでも綱吉はひどく傷付いていた。
(痛い……全部、痛い……。吐きそう……)
 起き上がる気力もなくて、結局午後の授業はサボってしまった。そんなのは、もうどうでもいいが。
「……痛い」
 ぽつりと、声に出た。

「どうしました?」

 すぐに答えたのは、ずっと綱吉を腕の中に入れていた、骸。宝物を扱うように綱吉の頬をやわやわと撫でて、まるで恋人みたいだった。
(違うのに。トモダチ……だったのに)
 ずきずきと胸の奥が悲鳴をあげていた。考えないように意識を他へ向けようとするけれど、視界を占めるのは紅と蒼の二色ばかりで、そんなことは許してくれそうにない。
「……なんでもないよ」
「本当に?」
「……うん」
 嘘でも微笑むことなんか到底出来なくて、綱吉は表情を隠すように顔を背けた。
「ああ、そう言えば、腸内の異物は早めに出さないと体調を崩すらしいですよ。この身体はまだ生きてますから、こないだのように放置するわけにもいきませんよね」
(生きてる……? やっぱり、今の骸の身体は――)

「っ!?」

 思考は、ありえない場所への刺激で強制的に中断された。
「な、何っ?」
 慌てて逃れようと身をよじるが、骸の片腕一本で簡単に押さえられてしまう。
「じっとしてて下さいね。中の精液を掻き出さないと、後がつらいんですって」
 軽く言って、骸は綱吉の直腸内で更に指をうごめかせた。
「ひぁっ、や、やめて! 自分でやるから! ヤ、だってば……ぁうッ!」
 敏感な部分に指が掠める度、過ぎ去った快感が蘇る。けれどそれを遥かに上回る嫌悪感が綱吉を襲った。
「クフフ、そんなに恥ずかしがらずとも。ほら、気持ち良くしてあげますから、僕に身を任せて」
 間近に迫った眼が綱吉の抵抗を易々と封じて、あとはもう、まな板の上の魚のように綱吉はコトが過ぎるのを待つしかなかった。
 ぐちゅぐちゅと卑猥な音が全身を伝う。どうしようもない気持ち悪さと恥ずかしさは、音の大きさが徐々に増すにつれて快感に塗り潰されていった。
「……ぅ、ぁんっ!」
 長い指が綱吉の内部の敏感な部分を掠めるたびに吐息混じりの甲高い声が上がった。でもそれは、どんなに気持ち良くても、堪らなく気持ち良くても、綱吉を根底から悦ばせることは出来なかった。綱吉が望んでいた日常は、マフィアから離れて手に入れたかった日常は、こんなものではなかったのだから。
「ふぁっ、ん……! ぁ……っむ、くろ……っ、あ、のさ……んぁっ」
 意思に反して喘ぐ身体を抑えて、綱吉はその願いをなんとか口にしようと懸命に意識をつなぎ止めた。
「何です?」
「先、週っの、にち、ように……ぁんっ! む、骸んちで、さ……ぁ、ふたりで、んンっ……ダラダラ、さ。ゲーム、とか漫画読んっ、で、過ごした、よね……ヤっぁ!」
「ああ、そうでしたっけね」
「俺、さ……うぁンっ、ぁ……あ、ああいうっ時、が、ぁぅっ……いち、ばん、幸せだった、な……ぁアっ!」
「……」
 ぴたりと、愛撫の混じった行為がやんだ。骸の顔は怖くて見れないけれど、怒ってはいない気がした。綱吉は尾を引く快感の波に揺られながらも声を振り絞った。

「ぅ……お、俺っ、あの頃に、戻りたい……っ、戻りたいんだ!」

 しん、と屋上が静まり返る。グラウンドでどこかのクラスがサッカーをしていたが、その音は随分と遠く聞こえた。
「…………」
 骸は何を考えているのか、しばし無言だった。そして綱吉の横顔を見つめて、首を傾げる。
「困りました。どうしてあなたがそんなことを望むのか、理解できない」
 本心からそう思っているようで、骸は眉根を寄せて視線をさ迷わせた。
「せっかく繋がることが出来たのに。想いを等しくすることが出来たのに。どうして?」

 ドウシテ、ソンナクダラナイコトヲイウノ。

 骸の言外に込められた意味に、綱吉は「あぁ……」と妙に気の抜けた嘆きを零した。
「……なら、いい。忘れて……」
 理解できないのなら、戻れないということ。もう違う世界に住んでいるということ。
 綱吉は、達観と呼ぶには痛みの伴い過ぎた表情で眼を閉じる。瞼の端から一筋の涙が零れてコンクリートに黒々とした染みを作ったけれど、どうせすぐに乾いてしまうのだろう。

(どうか。どうか、あの日々の思い出だけは、変わらないで……)
 
 綱吉の切なる願いは、空に染み込んで消えた。
























「……汚い」
 授業を何の言い訳もせずに堂々と抜け出して、白蘭は洗い場でずっと手を洗い続けていた。ついているはずもなく落ちることもない汚れを必死で洗って、洗って、洗って。
「汚い……汚い! 汚い!」
 あまりに強く洗い過ぎた手は皮がべろりと剥けたが、しかしすぐに再生が始まった。骸の生命を糧に得た特異な身体は、白蘭にとって憎いものでしかなかった。
 真っ赤になった手を握りしめて、白蘭は唇を噛む。

「骸君に……愛されてるくせに……!」

 ぽたぽたと落ちた水は、乾く間もなく排水溝に吸い込まれた。























どちらかというと次の話への前段階的な話ですね。
もう白蘭と骸さんの間のあれやこれやに気付いていらっしゃる方は白蘭がああなってる理由がわか――るといいな!(投げた)
たぶんしばらくはこんなかんじで匂わせたままで、真相をきちんと書くのはずっと先になるんではないかと。……たぶん。
さて、そろそろ軌道修正をきっちりやらないといつまで経っても白蘭が報われないから頑張らねば!


2009.2.16




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