08.反転
「…………ん……」
ずきずきと痛覚なのか何なのかもわからぬ感覚を与えてくる右眼を押さえて、骸は上体を起こした。鈍くぼんやりとした意識のままに辺りを見回すと、妙に白い景色が広がっていることに気付く。
「ここ、は……」
壁も床も天井も真っ白で、だだっ広いだけで何もない空間の真ん中に骸はいた。正方形らしき部屋の内周をぐるりと走ったら、それなりに時間がかかるだろう広さがある。状況が理解出来ずに骸は瞬きを繰り返した。
「……?」
少し身体に違和感があるのは何だろうか。
不思議に思いつつ自分の身体を上から下へ眺めていくと、
「……!!」
骸の左手に縋るようにして白いふわふわしたものがうずくまっていた。
見覚えのあるそれに右手を差し込んでかきあげる。
「……白、蘭」
左の目元に、特徴的な痣が三つ。刻印と呼んでもいいほどにくっきりと刻まれたそれは、まるで道化師のメイクのようだ。骸はこの痣をずっと不思議に思っていた。いつ出来たのかもわからぬ、痣。産まれた時からあったようにも思う。治癒力の異常に高い白蘭なら、こんなちっぽけな痣などすぐに消えるはずなのに。今の骸にとっては、単にふざけた印象を与えるものでしかないのに。何故か、この紋様を撫でると少しだけ安らぐのだ。
「……」
そっと昔からしているように、それを撫でる。やはりどことなく気持ちが落ち着き、特に変わった感触もない。しかし、白蘭の目元を撫でるこの手は何だろう。特に問題はないけれど、何かがおかしい気がした。一度そう思うと、どこもかしこもおかしい気がしてくる。足の感覚、胴の感覚、胸の感覚、内蔵の感覚、眼の感覚、耳の感覚、口の感覚、脳の感覚、全てがおかしい。五感が元々揃っていない骸だが、それでも異変は感じ取れた。
そうして次第に意識が澄んでくると、ひとつの可能性に思い当たる。
「……ま、さか……」
頼りない声で呟いて、自身の身体を――新しい身体をかき抱いた。真新しい心臓がドクドクとうるさい。少し爪を立てればすぐにじわりと血が滲んで、そしてすぐに塞がろうと肉がうずく。あり得ないことだった。
(この、身体……生きている……!?)
確信を得た途端、腹からこみ上げるものがあった。
「……こ、のっ――」
黒い衝動が瞬時に視界を曇らせて、骸の両手は眠る白蘭の首に絡み付いていた。
「……ぅっ!?」
瞬時に目を覚ました白蘭は驚きに目を剥いたけれど、その奥には安堵が覗いていた。苦しげに表情を歪めながら、でも確かに――
「何をへらへらと笑っている……!」
手の力を緩めぬままに、骸は地を這うような声で低く叫んだ。まったくもって不可解だった。自殺願望でもあるのか。
(生きているくせに……!)
胸のずっとずっと奥で燻っていた劣等感がじわじわと喉元まで駆け上がってくる。ありとあらゆる罵声を浴びせて、初めから答えのない疑問で白蘭を穴だらけにしてやりたくなる。
自然、力が込められた。
「ぅ、ぐ……っ……ん……!」
白蘭の口からは意味をなさない呻きが漏れて、口の端からは唾液が伝う。そんな醜い様を晒しながら、白蘭は強い意志を持って口を動かしていた。
よ、
か、
っ、
た。
「……!」
その意味がわかって、骸は戸惑った。けれど戸惑いながらもその手は力を込め続け、白蘭が意識を失う頃にようやく手を離した。
どさり。重い音と同時に、最後まで優しげに微笑んでいた白蘭は真っ白な床に崩れ落ちた。
「……恩でも売ったつもりか、くだらない」
冷たく言い捨てて、骸は無機質な寝台から下りた。白ばかりのこの場所は気持ちが悪かった。
(まるでエストラーネオみたいだ)
幼き日の記憶と合致する色は、骸にとって苦いものでしかない。
ちらりと白蘭を一瞥する。
「やはりあなたと僕は違う」
慣れない生きた身体でふらつきながら、骸は白い部屋の入口へ向かった。
実際の厚みはわからないが、暗い灰色の扉は鋼鉄製か何かだろう。軽く叩いてみると、ほとんど音がしなかった。かなり分厚いようだ。さすがにこれを叩き斬ることは不可能に思えた。
そのすぐ横の壁には、一般的な生活では滅多にお目にかかることはないだろう無骨なコンソールが貼り付いていた。強化ガラスか何かのパネルには細い線で手形が描かれており、おそらくそこに手を合わせることで個人を特定するシステムなのだろう。
(……面倒な)
駄目で元々と扉の横についていた静脈認証の手形に手を合わせてみる。これで無理なら白蘭の手を押し付ければいい。
ぴー……がしゃん。
「……!」
予想に反して、扉は当たり前のようにあっさりと開き始めた。
(なぜ……?)
白蘭が今の骸の身体の静脈を記録していたのだろうか。だがそんなことをして何になるのだろう。その理由は全くわからない。妙な引っ掛かりを覚えながらも、骸は白い部屋を後にした。
「……おやおや」
しかし部屋を出た先もまた、真っ白な廊下だった。左右にひたすら伸びたそれは限りなく直線に近い曲線で、骸の遠近感を狂わせる。これもまた、エストラーネオにどこか似ていた。
「悪趣味が」
一言で切り捨てて、骸は淡々と歩き出した。誰かしらを捕まえて道を聞き出せばいいので、特に考えることもなく右を選んだ。
しかしいつまで経っても人っ子一人見当たらない。相変わらず白ばかりの廊下は続いているが、まず部屋がなかった。それに分岐もない。ただ緩やかにカーブする一本道を歩くだけで代わり映えのしない光景に、骸はすぐに飽きて、次に苛立ちが募っていく。窓がない代わりに通気孔らしきものが点々とあるあたり、恐らくここは地下もしくは区画の中心か何かに相当するのだろう。壁を突き破るとか窓を叩き壊すとか、そんなことも出来ないというわけだ。
ならば、とにかく歩くしかない。
(白ばかりでうんざりですね……)
血でペイントでも施したら、少しはマシになるだろうか。
そんなことを考えながら歩くうちに、ようやく分岐に行き当たった。しかしそれは分岐と言うより、むしろ骸が歩いて来た道こそが分岐先のようで、おそらく部屋を出て左の廊下を選んだとしてもぐるりと回って反対側からここにたどり着いただろう。どうやら虫眼鏡を描くような構造らしい。柄の部分に当たる通路の先には、エレベーターの扉とボタンが見えた。ひょっとしたら出口に続いているのかもしれない。
しかし、と思い直して、骸はやたらと広いレンズ部分に相当する丸い空間の方を振り返った。先ほど骸がいた部屋もそのスペース内に含まれているようだが、明らかにサイズが足りないのだ。骸が歩いた円周の距離からして、四分の一にも満たないだろう。
「……」
案の定、そこには巨大な扉があった。先程の部屋と同じような、鋼鉄の扉。静脈認証に加え網膜認証らしきカメラのレンズまである。やけに厳重なそれは、その先に待つものへの期待を抱かせた。
十年前に別れてから、骸は白蘭の動きに極力目を向けないようにしてきた。けれど蓄積していくばかりの破壊衝動の捌け口としてマフィアはうってつけで、一方的にマフィアと関わるうちにエストラーネオが消えたことを知ってしまった。そのすぐ後にミルフィオーレという新興マフィアが力をつけてきたことも意図せず耳に入り、しかもそのボスがまだ年若い少年で、しかも菫色の瞳と白い髪の持ち主だという。そこまで推測材料が揃っていて白蘭を連想せずにいることなど、骸には出来なかった。だからあえて遠ざけてきた。その結果、骸はミルフィオーレファミリーの情報をほとんど持たないまま、どころか、あえて破棄してきたために何も知らないのだ。
(白蘭のことを、もう僕は何も知らない、か……)
白蘭はミルフィオーレなどという組織を立ち上げて、一体何がしたかったのだろう。何故、今になって自分の前に出てきたのだろう。
骸の疑問は尽きなかった。過去のある時より以前には考えられないことだった。
静脈認証の手形に手を合わせ、小さなレンズに左目をあててみる。前の身体の時は、左の目玉はガラス玉だった。綱吉がくれた蒼いビー玉。骸にとって、宝物に等しいもの。しかし今は生身の目玉が収まっていた。誰の物かは知らないが。
ピー……ガシャン。
簡単に施錠が解除された。半ば予想通りとは言え、やはり少し驚く。白蘭は本当に何がしたいのだろう。
重苦しい音と振動とともに扉が開いた。その先には、研究員らしき白衣姿の男女が数人、カルテのような物を持って馬鹿でかい機械に向き合っていた。どこかの部品工場やボイラー室を思わせる天を突く金属の塊は、当然ながらどんな役割を担っているのかなど窺えない。とにかく人を見つけた以上、することは最初から決めていた。
骸がコツコツと音を隠す気もなく歩むと、何かの作業に集中していた研究員のうちの一人が気付いて驚愕に目を見開いた。
その、眼。
その、表情。
骸は確信した。
(……なるほど。僕のことを知っているんですね)
感情とはうらはらな微笑を貼り付けて骸が大きく一歩近付けば、その一人は大きく後ずさる。それを不思議に思った数人が事態に気付き、そこからは瞬く間に動揺が広がっていった。
「な、なぜここに!」
「い、入江様を――いえ、白蘭様を、早く!」
「おいっ、誰でもいい、とにかく戦闘要員を呼べ! 早くしろぉ!!」
口々に叫びだす彼ら。そう大袈裟に反応されると、元々嗜虐傾向にある上、わけのわからない苛立ちに支配された骸は衝動に身を任せてしまいたくなった。
(いい……ですよね? こんなにたくさんいるんだから、少しくらいは)
堪え切れずに唇を舌で湿らせて、骸はその手に三叉の槍を生み出した。普段意識の海にたゆたうそれは、骸の望みに従って具現化される。生命すらまやかしの骸にとって、その程度造作もなかった。
その凶悪な形状と殺気に、戦う術を持たぬ彼らは恐怖に顔を歪めて震え出した。
(ああ……随分と愛らしい子羊達ですね)
――我慢できないかもしれません。
骸がこくりと喉をならせば、彼らは蜘蛛の子を散らすように方々へ逃げ出した。
ある者は叫び、ある者は歯を食いしばり、ある者は他者を押し退け、ある者はそれを踏み付け、またある者はそれを贄のように骸の方へ押し出した。
(醜い。けれど、なんてかわいい玩具でしょうね)
くれると言うならもらっておこうか。
床に転がされた哀れな生贄を愛しげに見つめて、骸は眉ひとつ動かすことなく槍を振り下ろした。
「……ん……ぁ」
湿った手応えとともに、全身に快感が駆け抜ける。恍惚に表情を崩して、骸はまだ動く贄に何度も槍を突き立てた。その度に血と悲鳴とが飛び散って骸を悦ばせる。骸にとって、命というものは未知のものだった。自分の中に存在しないもの。白蘭が持っているもの。理解したくても出来なかったもの。でも死は簡単に理解出来る。だからこうして死を与えることで、ようやくその人間の存在を認められる。ああ、生きていたんだ、と無意味な感慨を持つことが出来る。そんな歪んだ感覚があるのだ。もちろん、骸に葬られる者達にとっては言い訳にもなりはしないだろうが。
骸の凶行が進むほど、真っ白な部屋は少しずつ様相を変え、ようやく落ち着ける色に染まっていく。ほぅ、と息をつく骸とは真逆に、白衣の人間達は恐慌状態で自我を失っていた。そしてそのうちの一人がガクガク震えながら必死で奥の壁のコンソールを叩き出す。
「……?」
腰を抜かして動けなくなっている女に無造作ぶ槍を突き刺しながら、骸は首を傾げた。助けでも呼ぶつもりだろうか。
(獲物が増えるなら、それはそれでいいけれど)
上機嫌になった骸は壁に張り付くように逃げる別の男に槍を投擲した。
べしゃっ、と壁に赤い色が広がって、一気にその一角が華やいだ印象になった。
(……綺麗ですけど、やはり感触がないのはつまらないな)
「どうせ死ぬなら、少しは抵抗してくださいよ。ほら、僕に命を教えて」
骸は死体となった男からゆっくりと槍を抜き取る。ぐちゃぐちゃとした感触が刺激となって、思考をクリアにしてくれた。
その隙にと駆け出した一団は、どうやら骸が入って来た入口へ向かっているようだ。
「おや、抵抗しろと言ったそばから……僕を置いて逃げるおつもりで?」
酷薄な笑みを浮かべた骸の右眼が、羽音のような音を立てる。
途端、狂ったように動いていた足がぴたりと止まり、彼らはその場に縫い留められた。誰一人として骸の暗示を逃れたものはおらず、骸はそのおかしな光景にくすくすと楽しそうに笑った。
「クフフ、単純ですね。愛すべき愚か者達に、温かな手を……」
カツンカツンとわざと音を立てて歩み寄り、涙を零して哀願する女の頬を優しく撫でてやる。女の瞳に僅かな期待が見え隠れするが、それも骸がにこやかに槍を振りかぶることで恐怖一色に染まった。
「大丈夫。運が良ければ、死んでも起き上がれますよ」
――僕みたいにね。
そして一気に槍で女の頭部を貫いた。
直後、ゴゴン、と何か重苦しい音が轟いた。
「……おや?」
背後から地震のように地を揺らす鈍い音が響いて、骸はくるりと振り返る。その拍子に顔に大穴を空けた女が崩れ落ちたけれど、骸の興味はもう他に逸れていた。女は床に広がり、二度と起き上がることはなかった。
「ひっ、は……っ!」
先程何やらコンソールをいじっていた男が一心不乱に走って、巨大な扉をくぐるのが見えた。どうやらまだ先があるらしい。
この部屋にもまだ玩具は残っているけれど、結局骸は少し迷った末に男を追って扉をくぐった。
そして骸は立ち止まる。いや、止まらざるを得なかった。
「……な……に!?」
聞こえるのは、どこか遠いざわめき、ぼこりと泡立つような音、コンピュータの電子音。見えるのは、暗闇にぽっかりと浮かぶいくつもの白い大きな筒。大の大人も余裕で入るほどの、大きな大きな円柱の水槽。
それから――
「びゃ、く……らん……?」
薄桃色の水に浸されて漂っていたのは、たくさんの管に繋がれた見知った顔。忘れられない顔。眼を閉じ膝を抱え、一糸纏わぬ姿で胎児のマネゴトでもしているのだろうか。目元の痣がないこと以外はまったくそっくりそのままに、彼らはいた。
その異世界に迷い込んだような部屋は、白蘭だらけだった。何十、何百と並ぶ同じ顔。同じ髪。同じ身体。白蘭と同じものが浮かんでいるのか、それとも浮かんでいるのと同じものが白蘭なのか、それすらもわからなくなる。
「……はっ、ナルシストが。自分そっくりのダッチワイフでも作りましたか」
骸は嫌な予感を振り払うように悪態をついた。しかし胸につかえて不快感を募らせる何かは、一向に消えてくれない。
(……気持ち悪い!)
なんなんだ、これは。
身体が疼くのを感じて、骸はよろめいた。ひたり、と水槽のひとつに手をつく形になってしまったが、そうでもしないと倒れてしまいそうだった。
ドクンッ!
「……っ!?」
突然の脈動は、自身の内側と、そして水槽の中から発生した。連動しているかのように、ぴったり同じタイミングだった。
「っ、く……!」
視線を感じ、骸は力の入らない身体を操って、なんとか顔を上向かせる。
「……!?」
水槽の中の白蘭が眼を開けていた。それどころか一心にこちらを見つめ、水槽の内側の壁面に手をついて何かを訴えるかのように泡を吐き出している。先程までの高揚が嘘のように引いて、骸は感じるはずのない寒気を感じていた。それも猛烈な。数え切れないほどの水槽の中から数え切れないほどの白蘭達が骸を見てもがいているのだ。まったく同じ表情、まったく同じ動きで。
「い、やだ……!」
ふるふると首を振って、骸は病気に冒されたように顔を青ざめさせた。許容範囲を一足飛びで抜け出した現実は、単なる恐怖にしかならない。
「見るな……見ないで……!」
怯えながら数歩後ずされば、ごつ、と別の水槽にぶつかる。恐る恐る振り向けば、やはり水に浮かぶ白蘭がこちらを見つめていた。
そして――
よ、
か、
っ、
た。
「……ッ!!」
唇の動きだけで伝えられた二度目の言葉に、骸は声にならない悲鳴をあげて槍を振り上げた。
「――やめてください!!」
突如、厳しい声音が響いた。少し高めの、少年のような声だった。
驚いて手をとめた骸が首だけで振り向けば、水槽に囲まれた通路の真ん中に赤茶色の髪に分厚い眼鏡をかけた少年が立っていた。
「お願いだから、やめてください……!」
哀しそうに訴える彼に、水槽の中の白蘭達は申し訳なさそうな視線を送っていた。全く乱れないその動きは、骸の衝動を再発させる。
「気持ちが悪いんですよ……この紛い物ども!」
構わず骸は槍を無慈悲に振り下ろした。
ガシャァン!!
ガラスが割れて中のとろりとした水が溢れ、次いで中にいた白蘭が白い床に叩き付けられる。陸にあげられた魚のようなその姿は憐れみを誘うが、骸にとってはそれすら恐怖と嫌悪にしか繋がらなかった。
「げほっぐ……っごぼっぁ……」
苦しげにむせる白蘭は、それでも必死に顔を上げて骸を見つめていた。瞳に罪悪感を込めて。
「その目で僕を見るな!!」
ずちゃっ。
骸は憎悪のままにその胸に槍を突き立てた。
「な、なんてことを……! 白蘭さん!!」
眼鏡の少年は動かなくなった白蘭に駆け寄り、しかし無情な現実にかたく眼を閉じた。その光景が、骸にとっては無性に怖かった。
「それを白蘭と呼ぶな……!」
骸は苛立ちもあらわに青年の胸倉を掴み上げる。白衣には白蘭の血が染み込んでいた。
「この施設はなんですか? あの男は自分を養殖して何がしたいんです?」
「う……は、離して――」
「質問が聞こえませんでしたか?」
ぎちりと白衣が鳴いた。
「ごほっ……! く……こ、ここは、ミルフィオーレファミリーの……研究施設で……っ」
「それくらいはわかりますよ。あの男が好きそうな色ですからね。……ああそれと、僕はそう気が長い方ではないので、手短に願います」
あまりに力を込め過ぎて、白衣は勝手に正一の喉を引き絞る。危機感に身を震わせて、正一はなんとか口を動かすことに従事するしかなかった。
「っ、……こ、このっ、施設、は、あなたの……ため、にっ、白、蘭さんが、作った……もの、です……!」
(……僕のため?)
妙な引っ掛かりを覚えて、骸は眉をひそめた。
「培養した自分をプレゼントにでもするつもりでしたか? だとしたらどこまでも悪趣味な男ですね」
「ち、ちが、う……! 白蘭、さんは、ただ、あなた、の、身体をっ、治したく、て……!」
(治す? 僕を?)
「……意味がよくわかりませんね。治すも何も、僕は元々――」
「正ちゃん、喋りすぎだよ」
「っ!」
声に振り向けば、胸を不自然に手で押さえた白蘭が骸へと熱い眼差しを注いでいた。水槽の中の冷たい白蘭達と、まったく同じ眼差しを。
「びゃ、くらんさ、ん……!」
正一は焦っているようにもほっとしたようにも見える複雑な表情を浮かべていた。
「骸君、正ちゃん苦しそうだから離してあげてよ」
「おやおや。脂汗なんて流して、あなたの方がつらそうですけど?」
骸は正一から手を離さないまま言った。実際白蘭の顔色は真っ青で、額には汗が玉になって浮かんでいた。相変わらず胸を押さえたままだ。
(何だ……?)
疑問に思う間にも、正一の首は絞られていく。
「……僕のことはいいから、正ちゃんを離して」
白蘭の声に懇願の色がうっすらと見えて、骸は思考をそちらへ固定する。意外だった。
「……これはこれは」
骸の手に更に力が加わって、正一の顔は目に見えて赤くなっていく。
「あまりにも珍しいことなので、少々驚きました。まさかあなたが他者の心配なんてね」
「お願いだよ、骸君……お願い」
「……まあ、いいでしょう。他者を慮るなんて、クフ、随分と似合わないですね」
口だけでくすくすと笑って、骸はようやく正一を離した。解放された正一は床に手をついて咳き込み、目にはうっすらと涙を浮かべていた。
「さて。それで? この胸糞悪い施設は何です? 僕のためだとか薄気味悪いことを彼から聞きましたけど、冗談でしょう?」
「……さあ? 単に君に嫌がらせするためかもよ?」
はぐらかす白蘭にやんわりと微笑んで、骸は正一の手を蹴り上げて掴む。悲鳴をあげる間もなかった正一の首に槍の穂先を突き付けた。
「二度同じことを言うのは嫌いでね。これが最後です。この施設は、何ですか」
声の圧力に、正一はごくりと喉を鳴らした。そのせいで刃の先端が喉を掠ったけれど、痛みを感じる余裕はなかった。そんな正一の様子に、白蘭は少しの焦りを見せた。視線をわずかに彷徨わせ、逡巡しているようだ。骸はと言えば、口の端を持ち上げ、嘲笑うような音を漏らす。
「クフっ、フフフ! 友人だか下僕だか知りませんが、赤の他人なんて気にしないのがあなたでしょう? 実に滑稽ですね」
「……正ちゃんは大事な協力者だよ。僕の研究には欠かせない」
「研究? この不気味な人形の? それはまた笑わせる。いい趣味をしているじゃないですか」
反吐が出ますよ、と吐き捨てて、骸は槍をほんの少し押し進めた。ぶつ、と皮を貫く音が骸の耳を犯して、そのまま穴だらけにしてやりたい衝動を生む。
「やめて! ……研究は、見ての通り僕の身体のことだよ」
「ほぉ? そのまんまですね。ひねりがなくてつまらない」
「……ひねる意味が、ないよ。僕の身体も、君程ではないにしろ普通の人間とは違う。わかってるでしょ」
「まあ、そうですね。ですが、ここまでするほど変わった身体でもないでしょうに。本当にそれだけですか?」
骸の疑いの眼差しに白蘭は笑みで返した。
「君の添い寝用に送り付けるため……もあるかもね」
「…………くだらない」
今度こそ正一を離して、骸は唾でも吐きそうなほどに顔をしかめ、背を向ける。
「付き合いきれません。僕はそろそろお暇しますよ。早く帰らないと、綱吉君が心配しているでしょうし」
こちらを見ないまま何の未練もなく来た道を戻り始める骸の背中に、ずきん、と白蘭は心に棘が刺さるのを自覚した。
「……今回のことは、本当に反省してる。悪かったと、心の底から思ってる」
すれ違い様に、白蘭はぽつりと呟いた。骸は足を止めないままに、意識だけを傾けた。
「でも。でも、ツナ君は、君を待ってなんかいないんだ。それだけは言えるよ」
「クフフ、嘘ですよ、そんなの。あんな声、どうとでもなります。少し動揺してしまいましたけど、よく考えれば、あれは綱吉君の声じゃありません」
「……どうしてそう思うの」
ぴたり、と骸の足が止まり、皮肉をたっぷりと込めた瞳が白蘭を肩越しに見つめた。
「だって、彼は十年前のあの時僕を受け入れてくれましたから。大好きだって、タカラモノだって、抱きしめてくれましたから。その彼が裏切るはずがない」
……あなたと違ってね。
言葉の端に僅かな悪意を滲ませて、骸は再び歩き始めた。
悲痛に表情を曇らせる白蘭と、同じ表情を浮かべて漂う白蘭達を残して。
「……僕は、裏切ってなんか、ないよ」
白蘭の震える声が骸に届くことはなかった。
骸さんがあっさりと復活してますが、そこらへんのあれこれは後ほどハッキリするようなしないような……うーん……。
とにかく、ここらへんから『いつかの〜』の前半とは骸と白蘭の関係が変わってきます。
今回白蘭が失敗をおかし、その結果骸さんを失いかけたことがきっかけですね。
『幼き〜』における失敗を繰り返してしまったわけです。
白蘭の本心は、骸さんの思うところとは違います。そこらへんのすれ違いが今後の白蘭を以前にも増してかわいそうな子にしちゃうと思います。
とりあえず、双変奏曲における管理人のキーワードは『白蘭は本当はいい子!』です。
なかなか白蘭の幸せが見えないですが、なんとかハッピーエンドに……なるように流れ星にお願いでもするかな。
2009.2.2
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