07.後朝




 ピピピピッ

 ピピピピッ

「……」

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ガチャッ

 ピー……

『も……ヤだ……っ!』

「……!?」
 目覚まし時計の単調な機械音の後に続いた甲高い声と粘ついた水音に、骸のまどろんだ意識は瞬時に覚醒した。

『やめ……んぁんっ……っ』

『あぅっ、ふっ……なん、で……!』

『なんでっ、こんなっこと、するの……ぃぁあっ……!?』

 跳ね起きて見慣れた部屋を見渡せば、部屋の隅に持ち去られたはずの平たい箱が転がっていた。さえずり続けるそれは、無機質な見た目に反して生々しい事態を容赦なく伝えてくる。

『嫌、だっ! あんっ……! ひっァ……やめ、て……びゃく、らぅっ!』

 それはまぎれもなく綱吉の声だった。いや、綱吉の嬌声、だった。
 聞き覚えのあるそれを骸が聞き間違えるはずもない。しかし、だからこそ骸は困惑を隠せなかった。
(なんですか、これは……!)
 元々血の気などない頬に熱が集まることはないが、四角い目覚まし時計を持つ手にはぎちりと力が込められた。

『ひど、ィッ! ぁアっ! あ……は……ッ!』

 なおも喘ぐ綱吉は、明らかに高みへと追いつめられていた。声だけでわかる。散々骸の手により生み出された声とまったく同じなのだから。

『あ、あ、はあ、っ、やぁッ! は……! ぁっ! む、むく……も……か……っ!』

 ぴくりと、骸の身体が強張った。
 今、綱吉の声は何を言った?
 骸は、綱吉の荒い息に紛れながらも紡がれる言葉に意識を集中した。集中せざるを得なかった。

『はぁっ…………ぁ……、むく、ろも……骸も、白蘭もっ、同じじゃないか……ぁあッ!!』

「……な……!」
 今度はハッキリと聞こえた。胸が軋む音がする。これ以上聞かずに今すぐこれを叩き割れと誰かが叫んだ。でも、骸には出来なかった。

『ぁっ、はぁっ! ぁ…………やァっ! ……き、らい……!』

『骸もっ、嫌い! 白蘭もっ、みんな、大嫌い……っ嫌い嫌い嫌いっ、ぃぁッ、あ、ぁあああああッ――!!』

 どぷ。ぴゅくり。
 意味のある水音の正体など、わかりきっていた。けれど骸の心は理解することを早々に放棄した。そんなことより。そんな些細なことより何よりも。
  
『……はぁ……っ』

『……く……』

『…………ぁ』

『…………』

『…………こんな……こんな、こと、ならっ……!』




『骸なんか、助けなければ良かった……!』




 ピー…………


「どう? 声だけでイけそうでしょー!」
 愉悦を隠しもせず、部屋の片隅で白い影は嗤っていた。

『も……ヤだ……っ!』

 単純な機構の目覚まし時計は、主の状態などおかまいなしに音声を最初に戻した。再び始まる宴が虚しく響く。
「フフ、最高だよねぇ、彼! 骸君の方がカワイイけど、ツナ君ってばいい声で啼くよね」

『やめ……んぁんっ……っ』

「でも僕だって鬼じゃないからさぁ。きちんと丁寧にほぐしてあげようと思って、」 
 骸の反応を確認しないまま、白蘭は続けた。 

『あぅっ、ふっ……なん、で……!』

「指一本から始めて、二本、三本って、ちゃんと段階踏んであげてさ?」 

『なんでっ、こんなっこと、するの……ぃぁあっ……!?』

「でも我慢も限界だったから、一気に指引っこ抜いてねぇ、」

『嫌、だっ! あんっ……! ひっァ……やめ、て……ぅっ!』

「物欲しそうにぱくぱくしてる下の穴に、僕のぶっといのをぐちゅり……って」

『ひど、いィッ! ぁアっ! あ……は……ッ!』

「かわいかったなー、ツナ君! 目ぇひんむいててさぁ! ずぼずぼすると蜜だらだら垂らしてひぃひぃよがるの!」

『あ、あ、はあ、っ、やぁッ! は……! ぁっ! む、むく……も……か……っ!』

「骸君も同じことしてたんだと思うと、余計に気持ち良かったよ?」

『はぁっ…………ぁ……、むく、ろも……骸も、白蘭もっ――』


「フフ。だって、そう。僕らは――」


 ……同じじゃないか。


 ガギャッ!!

「…………っ」
 金属製の箱は、骸の指によって貫かれていた。しかし指の先端もまたひしゃげて潰れ、黒ずんだ傷口が黄色や赤や緑色の配線の中で異彩を放つ。その正常な人間の身体ではありえないコントラストに、白蘭はハッと眼を見開いた。
「……骸君……?」
 余裕の笑みを半ば凍らせて骸の名を呼ぶも、骸は動き方を忘れたかのように静止していた。白蘭の方を見ることもなく、どこを見るでもなく。
「え、う、ウソでしょ? だってそんなっ、これくらいで……!」
 みるみる笑みが剥がれて、白蘭は唇を震わせた。幼い頃の過ちが頭を過る。慌てて駆け寄り、骸の肩を掴んで愕然とした。
 ……冷たい。
「ご、ごめん、そうだよね、やり過ぎだったよねっ? ごめん、ごめんね! 悪かった、反省してる……!」
 白蘭は慌てて白々しい言葉を並べるが、そこに嘘は見られなかった。しかし骸は視線を動かすことなく、声を出すこともなく、表情を欠落させたまま彫刻のように時を停めている。白蘭が手の平に感じる感触は段々と柔らかくなり、柔らかくなり、柔らかくなり、ぐじゅりとぬかるんだ感触にまで変わり果てた。腐った肉の感触だった。
「ごめん! ホントにごめん! 何回だって謝るからっ、だからそれだけは――」
 白蘭の言葉の途中で、ぐらりと骸の上体が傾ぐ。
「っ!!」
 白蘭は倒れゆく骸を抱きしめるようにしてなんとか支えることには成功した。瞳から輝きを失っていく骸の肩を掴み直して、ぐっと引き寄せる。その身体は隠されていた真実そのままに生気を失い、色を失い、男の身体から女の身体へと変わっていく。懐かしくもない母の身体に、思わず白蘭は背筋を震わせた。
「ご、ごめんっ、ごめんっ、ごめんっごめんなさいっ、骸君! 落ち着いて、大丈夫だから、お願い……!」
 元々意味のない呼吸を忘れ、人間として有り得ないほど無音になった骸を必死で抱きしめながら、白蘭は上着のポケットから携帯電話を取り出し、ショートカットで電話をかけた。
『もしもし、白蘭さ――』
「正ちゃん! 今すぐ骸君のマンションの前に車回して!」
 悠長な声に被さるように叫んで、携帯電話を顎と肩で固定する。そして空いた手で骸を抱き上げた途端、

 ぼとり。

 重い物が落ちる音――。
「骸君っ!!」
 悲鳴同然の声を上げて、白蘭は骸を繋ぎとめようと強く抱きしめた。腕の中の骸は左の肩から先を失っていた。無造作に床に転がる白く華奢な左腕は、みるみる本来の黒く腐りはてた肉と骨とを曝していく。
(う、嘘……!)
 見覚えのある兆候に白蘭は息を呑んだ。
『白蘭さんっ?』
「ごめん追加! どれでもいい、身体を用意して!」
『びゃ、白蘭さん……!!』
「とにかくラボに搬入しといて! 大至急準備を!」
 それだけ叫ぶと白蘭は一方的に電話を切った。正一の戸惑う声が一瞬だけ耳に入ったけれど、そんなことに構っている暇はない。短い電話の間に、骸の身体は随分と軽くなっていた。右の膝から下が、既に落ちて黒ずんでいた。
「骸君! こっちを見て骸君!」
 骸の意識を引き留めようと白蘭は骸の頬を何度も撫でた。こけた肉は白蘭の手の動きのままに不安定にずれて、今にも剥がれ落ちそうだった。
 いや、もう落ちた。
「……!」
 粘ついたズルリという不快な音は白蘭の焦りを簡単に増幅し、心臓を狂ったように急かす。
「骸君っ、骸君、骸君っ!!」
 白蘭の脳裏に十年前の記憶がフラッシュバックして、目の前が真っ白になった。あの時もこうだった。いや、あの時とはきっかけが違うけれど、骸の願う無への回帰は同じ。そしてその後に待っていたのは十年にも及ぶ決定的な別れだったのだ。
(また……!)
 無力だった白蘭は、あの時ひとつの選択肢しか持たなかった。所詮は応急処置。なんの解決にもならなかった。どうすることも出来なかった。だからがむしゃらに追い求めて、十年を経てようやく答えに辿り着いたというのに。嘘で自分を塗り固めて、欺瞞だらけの強気で己を奮い立たせて、ようやく骸に会いに行ったのに。これでは単なる道化ではないか。
 苦悩に視界を覆えば、指の隙間からガラス玉が転がるのが見えた。まさかと思って手を外せば、骸の蒼い左眼が――空色のガラス玉が、ころころと床を移動していた。カツン、なんて硬質な音がする様は、本当にただのガラス玉。白蘭の視線と、ガラス玉の表面に映りこんだ青色の白蘭の視線が交差する。白蘭とは似ても似つかぬ色の瞳を形作っていたそれは、無造作に転がって部屋の角で止まった。
(骸君……!)
 目玉を失った骸の左眼窩は落ち窪み、残る紅い眼は輝きを忘れて何も映さない。それどころか零れようとすらしている紅い眼を手で押さえて、白蘭はただただ骸を抱きしめた。
(どうして……どうしてこうも違うの……)
 同じ時、同じ瞬間に生まれたはずなのに、どうして同じでないのだろう。
 どうして自分は生きていて、どうして彼は死んでいたのだろう。
 どうして在り方が違うのだろう。
 白蘭は骸と同じでありたかった。生まれた瞬間から生と死に二分された二人。祈るように同じであろうとして、失敗した二人。だからこそ、等しいことにこだわった。固執した。
(なんで……どうしてなの、骸君……)
 死骸に戻りつつある弟は、ひたすらに静かだった。心臓は最初から動いていない。息も最初からしていない。瞼は開いたままどころか、幻覚が消えたその時になくなっていた。ただの空洞に眼球が埋まっているだけ。指一本動かず、たまに肉の落ちる音がする。意志をなくした身体は、簡単に滅びへ向かっていた。
「答えてよ、骸君っ……!」
 声が聞きたかった。詰る声でもいい。嬲る声でもいい。罵る声でもいい。泣き声でも鳴き声でもいい。でも優しく名を呼んでくれたなら、きっと最高。
「骸君……!!」
 ぎゅぅ、と強く抱いて、涙をひとしずく落とした時、部屋の扉が荒々しく開かれた。

「白蘭さん!!」

 突如部屋に駆け込んで来たのは、最も信頼を置く部下――正一だった。
「正ちゃん……」
「下に車来てますから! ラボも準備させてます! 早く!」
 がしゃがしゃと騒がしく突入して来たいかつい防護服の連中は、きっとラボの人間なのだろう。骸をまるで保菌者か何かのように扱うのは許しがたくて、白蘭は自ら骸を抱えて立ち上がった。その拍子に骸の右腕が落ちたけれど、そんなことを気にしている暇はないとばかりに白蘭は走った。
 とにかく、右眼だ。骸の右眼をラボまで運ぶこと。替えのきく肉体は二の次だった。
 玄関を飛び出して、部下が待機させていたエレベーターに乗る。やけに遅い気がするけれど、きっと気が急いているためだろう。そう、思いたい。
 チン、と間抜けな音がして一階にたどり着けば、玄関先に救急車が停まっていた。あまりに庶民的なそれは外界に紛れ込みつつ急ぐには最適で、違法改造も施されているので最高速度は信頼出来る。
「とっとと出して!」
 飛び込むように乗り込んで運転席を蹴り付けてやれば、運転手は上擦った返事と同時にアクセルを一気に踏み込んだ。途端にぐいっと後ろに引っ張られるような重力を感じて、骸の身体を押さえるのに苦労する。
 ピーポーピーポーと無駄にけたたましいサイレンに反応して、車という車が道を空けていくけれど、白蘭からすれば軍用ミサイルで一気に吹き飛ばして真っ直ぐに突っ切ってやりたいくらいだった。
(早く……!)
 随分小さくなってしまった骸は今も欠け続けていた。先ほどの揺れで左足首から下がなくなっている。この運転手はコンクリ詰めで海底行きにしてやる、などと気を紛らわせていないと、白蘭は今すぐにでも骸に泣き縋ってしまいそうだった。

「……骸君」


 絶対。絶対に、もう離れない。
 

「こんなところで終わらせてたまるか……!」
 白蘭の腕の中で、骸の身体がまたひとつ欠けた。























うっわ、前の話から年またいでますね……。
本当、申し訳ないです。
えと、今回の話は前回更新した『幼き〜』の方の16話と連動しています。
あちらを読んでいないと「はい??」みたいなことになるので、そうなった方はあちらをお読みくださいませ。
たぶんそれもまだまだわからない部分が多いとは思いますが、これから伏線ぽいもの達を回収し……きれたらいいな。(←切実な願望)

あ、ちなみにサブタイの『後朝』は『きぬぎぬ』と読みます。
古文の勉強ですね。
……古文なんて大嫌いさ☆


2009.1.26




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