05.朝




 ピピピピッ

 ピピピピッ

「…………」

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 不快な機械音に薄く目を開けて、しかし身体は起き上がろうとはしない。

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ガチャッ

 そしてその単純な音はある時を境に一変した。

 ピー……

『骸〜起きろ〜!』

『起〜き〜ろ〜!』

『お前が起きないと俺も遅刻すんだろ〜!』

『起きて〜!』

『そんで俺を起こして〜!』

 ピー……

『骸〜起きろ〜!』

『起〜き〜ろ〜!』

『お前が起きないと俺も遅刻すんだろ〜!』

『起きて〜!』

『そんで俺を起こして〜!』

 ピー……

『骸〜――』

 律義にループするその声にも、骸は動かなかった。
「…………」
 ぼんやりと天井を見上げ、耳をくすぐる目覚まし時計の叫びに聴き入る。
 平らな箱型のそれは、確か中学に入学したての頃、実は朝に弱い骸に綱吉がくれた誕生日プレゼントだった。他でもない綱吉がくれた物だからと早速使い、朝から跳び起きることになったのはしっかり記憶に残っている。

「……綱吉君」

 ぽつりとその名を呟けば、途端に胸の奥に小さな灯りが生まれた。同時に、深い影も。
「綱吉……」
 心の内を占領するのは、まるで昨日の教室のような長く濃い影。あの時、夕日が作った窓の影は綱吉の白い肌に沿うように落ちて、ひどく煽情的だった。
「……ん……っ」
 はっきりと思い出せないもどかしさに身をよじりながらも、身体は偽りの熱を持ち出した。下肢が自然揺らめく。今の骸には目覚ましから発される雑音混じりの声すら毒だった。嘘ばかりの肉体を惑わす、甘美な毒。
「は……ぁ……」
 ずっと抑えて来た想いは、一度溢れてしまえば元になど戻ってくれない。罪悪感すら情欲を掻き立てるだけだった。頭の片隅で、綱吉の親友を気取る仮面が喰い潰されていくのがわかったけれど、そんなもの、もうどうでも良かった。
 親友というポジションに未練はない。あの、すべてがひとつになって溶け合う快感を知ってしまえば、そんな平凡な場所に居座ろうなんて思えない。
「んん……っ」
 目をきつく閉じて不自然に揺れながら、自身を抱きしめる。制御を失った熱が身の内で暴れて、今すぐにでも噴き出しそうだった。


 ガチャンッ!
 

 ふいに目覚まし時計が乱暴に止められた。

「朝っぱらからやらしーね」

「っ!!」
 目を開けば、視界いっぱいに広がる薄紫の瞳。
「白蘭……!」
 急激に冷めていく熱を惜しむ間もなく起き上がろうとして、出来なかった。
「朝のニュースタ〜イム」
 ふざけた口調で言いながら、白蘭は骸の肩を押し止めていた。
「何をする……っ」
 不快もあらわに抵抗するが、体勢からして骸には不利だった。体重をかけて押さえ込まれれば、起き上がることはおろか身体の向きを変えることすら出来ない。それを許してくれるような相手じゃない。
「まあまあ、黙って聞いてよ。先程入ったニュースです。君の愛しのツナ君は今日学校を休むそうで〜す」
「……だから何だというんです」
 学校など意味はない。綱吉がマフィアと関係のない普通の生活を望んだから通っていただけで、骸自身は学校に執着はなかった。綱吉が来ないというなら骸が学校に行く必要はないし、場所が変わるだけですることは変わらない。
「そう急かさないでよ。続報があるんだな〜、これが。それもなかなかスキャンダラスなネタがね」
 にやにやと笑う白蘭に少しの不安を覚えて、骸は抵抗をやめた。
「ふふっ、あのねぇ、誰かさんのせいでご傷心のツナ君は、今ボンゴレに保護されてまーす」
 一瞬、骸の頭の中が真っ白に染まる。
「……今、なんと……?」
 心が理解することに抗っているようで、思考がまとまらない。ちりちりと焦りが身を焦がすけれど、震える指先から熱が逃げていく。
「アハ、信じられないって感じかな? でもホントだよー。まだ壊れてはいないみたいだけど、ツナ君の心と身体は深〜く傷ついちゃったんだね。可哀相なツナ君。そして――」


 可哀相な骸君。


 白蘭の手が骸の青みがかった髪をさらさらと撫でる。色も手触りもまるで違うそれに愛しげに口づけて、白蘭は毒を流し込むように囁く。
 自分達は同じなのだと。
 二人で一人なのだと。
 鏡の前に立っているのに過ぎないのだと。
「……ち、がう……」
「違わない」
「違う」
「違わないってば」
「違う!」
「違わないよ」
「ちが――ぁ……っ」
 ちゅ、と小さな音をたてて、白蘭は骸の唇を優しく吸った。
「……違わない。いい加減認めちゃいなよ」
 間近に迫る薄紫は、夕闇を思わせる。今の骸には安らぎを与える、落ち着いた色。
「ツナ君は所詮他人だよ。でも僕らは…………そうじゃないでしょ」
 骸の背中に手を回して、やんわりと抱きしめる。本当は冷たい身体。嘘の熱を持った身体。白蘭の身体が骸に真実の熱を分け与えて、徐々に同じ温度になっていく。ただそれだけで、白蘭は確かな幸福を感じていた。
 骸は、どうなのだろう。
「……ねえ。10年前のこと、怒ってる?」
 抱きしめたまま、骸の肩のあたりに顔を埋めたまま、疑問を口にする。密着した骸が大きく脈打つように揺れたのがわかった。
「………………それは、母を殺したことを言っているのですか? それとも――」
「わかってるくせに。親なんてどうでもいいよ。……あの時のこと、だよ」
 繰り返せば、その吐息は骸の首筋をくすぐった。そう、あの時のように。
「…………あなたこそ、わかっているくせに」
 それは複雑で、入り交じっていて、濁った何かだった気がする。単純な言葉では言い表せない衝撃で、今でもずっと引きずられそうになる想い。それが拭いきれることは、きっとない。許せるはずなんてないのだ。
「ふん、ずるい言い方するよね、まったく」
 ため息で骸の耳をくすぐって、白蘭は骸を抱く手を離した。
「慰めてあげようかと思ったけど、やめた。どうせすぐ、君には僕しかいないって気付くはずだから」
 拗ねたように口を尖らせて、白蘭は立ち上がった。その手に、あの目覚まし時計を持って。
「白蘭っ、それは――」
 慌てて骸は手を伸ばしたが、先に立っていた白蘭は一歩下がるだけでそれから逃れる。
「僕が新しいのを入れといてあげる。声だけでイけるくらいの飛びっ切りをね」
 くすくすと愉しげに肩を揺らして、白蘭はくるりと背を向けた。
「待ちなさい!」
 引き止めるなんて、本当は嫌だった。でも、その時計の中には彼がいるのだ。親友の彼が。二度と会えなくなった彼が。
 骸は、親友としての綱吉も愛していた。たわいもない話で笑い合った彼を、愛していた。それは乱れた彼の艶姿に上書きされてしまったけれど――。

「綱吉君を返しなさい!」

 しかし骸の叫びに白蘭は意地悪い笑みを返した。

「もう遅いよ」

 カチっ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ピピピピッ

 ガチャッ

『朝のニュースタ〜イム』

『何をする……っ』

『まあまあ黙って聞いてよ。先程入ったニュースです。君の愛しのツナ君は――』

「……!!」
 それは先程の会話。
 いつの間にか録音していたようだ。つまりは、綱吉の声はもう……。
「あ、あなたという人は……!」
 いきり立った骸が一歩を踏み出す頃には、白蘭はひらひらと手を振ってマンションのドアをくぐっていた。
「じゃあね〜っ」
 そう軽い言葉を残して。
 追っても、もう無駄だ。単なる目覚まし時計に過ぎないそれに、上書きされた音声を復活させる機能などついていない。
 届かなかった手を下ろして、骸は無機質なフローリングに視線を落とす。
 胸に沈澱していくのは、後悔の念なのだろうか。眼を閉じれば、記憶の中の綱吉が太陽のように笑いかけてくれるけれど、それはすぐに淫らな喘ぎ声に掻き消されてしまう。

(……悔やむ? いや、長年の望みだった。ずっとそうしたいと思っていた。ずっと、ずっと……綱吉君を……)


 再び熱を持ち始めた嘘だらけの身体を抱きしめて、骸はその衝動を恥じることもなく、歓喜することもなく、ただ持て余していた。
 綱吉を抱いた自分はあの時の白蘭とは違うと、自己暗示にも近い想いを反芻しながら。
























いかにR-18的部分を避けるかが実は一番の争点です。


2008.8.22




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