02.歪み




「骸! どうしたんだよ骸!」

 廊下を普段の彼からは考えられない荒々しさで足早に進む骸に必死で追い縋り、綱吉はようやくその腕を掴んだ。少し息が切れてしまったが、なんとか言葉を乱さないよう、呼吸を強引に落ち着ける。
「何なんだよいきなりっ! 白蘭に何言われたんだよ?」
 白蘭が骸の後ろの席に座るよう言われ、立ちすくむ骸の横を通り過ぎる時に小さく何かを呟いたのをすぐ隣で見ていた。とても小さく、囁くような声だったので綱吉には全く聞き取れなかったが、綱吉より距離が近かった骸には聞こえていたようだ。途端に表情をなくし、骸は担任の制止にも耳を貸さず教室を出て行ったのだった。
 そして思わず追って来た綱吉に腕を取られ、今に至る。

「……別に」

 目を合わせず、振り向きすらしないままに言われても綱吉は納得できなかった。
 仕方なく骸の正面に回り込んで行く手を阻む。骸にこんなことが出来るのは、それが許されているのは、この学校内で綱吉ただひとりしかいない。それを証明するように、骸は不機嫌を超える思いを赤い瞳の奥に押し込めて、なんとか綱吉を睨むことは避けた。
「嘘つけ! お前があんなに動揺するなんておかしいよ。てっきり、久しぶりの再会に喜ぶかと思ってたのに」
 白蘭と会うのは綱吉にとっても10年振りのことだった。一緒に過ごした記憶はもう随分と薄くなってしまったけれど、わずかに残された思い出の中では、白蘭と骸の似ていない双子兄弟はいつも一緒だった。
「……知ってたんですね」
「うん。聞いたのはつい最近だけど」
 骸はそうですか、とだけ呟いて再び歩き出そうとした。しかし綱吉は手に目一杯力を込めてそれを押し止める。悲しいかな体格差というもののせいでかなりの重労働だった。
「どいて下さい。ここは不快です」
「嫌だ。理由を言ってよ」
「理由、は――」

「僕がいるから」

「っ!!」
 背後からの第三者の声に、骸は目を見開いた。
「でしょ? 骸君」
「白蘭……っ?」
 綱吉は白蘭が追って来たことに驚いていたが、それ以上に骸が浮かべる表情に戸惑いを隠せなかった。どうしてそんなにも敵意を剥き出しにするのだろう。どうして白蘭を見ようとしないのだろう。
「こっちを向いてよ、骸君。熱烈な抱擁までは求めないであげるからさ、せめてその綺麗な眼で僕を見つめてくれてもいいんじゃない?」
 弟に向けるにしては熱い眼差しを注いで、白蘭は底の見えない笑みを浮かべた。何か含んだような、嫌な言い方だった。
 ぎりっ、と歯を軋ませて、骸はゆっくりと振り向く。兄に向けるにしては過ぎた憎悪を滲ませて。
「……何の用だ」
「あれ? キャラ変わってない? いつもの敬語はどうしたのかな」
「何の用かと聞いている」
「ふふ、用も何も、突然弟が顔色変えて出て行ったら、追うのが普通じゃない?」
「……っ、よく言う……」
 学校にあるまじき殺気を放つ骸に綱吉は非難の視線を送るが、気付く余裕もないのか骸の赤々とした右眼は剣呑な輝きを湛えている。紛れも無く警戒し、警告し、捕捉していた。
「骸、ここ学校だぞ!」
 今にも血を見そうな緊張感に、綱吉は思わず声をあげた。骸が抱える事情はわからずとも、骸が暴れることで学校に与えるだろう被害はわかる。それくらいには骸という人物を理解しているつもりだった。
「……あれ、ひょっとしてツナ君? うわー、久しぶりだね!」
 そしてそんな綱吉に今気付いたとでも言うのか、白蘭は子供っぽく笑って手を振った。そしてそのまま一歩こちらへ踏み出し――。

「寄るな!!」

 骸の鋭い一喝がその足を止めさせた。
「……ナニソレ。いくら何でも酷すぎない? あんまりそういうことしてると、温厚な僕でも怒るよ?」
 びくっと骸の身体が大きく震えた。
(骸……?)
 怯えている、のだろうか。いや、少し違う。けれど、それに限りなく近い。綱吉は、骸に限ってそんなこと……と思ったが、この場の空気は異常だった。肌が粟立ってぴりぴりしたかと思えば、まるで氷に押し付けられているような熱いまでの冷たさを感じる。何故兄弟の再会でこうも張り詰めた状態になるのだろう。
 わけがわからないまま、綱吉は安心させるように骸の手を後ろから握ってやる。
「大丈夫だよ」
 その途端、骸は驚きもあらわに振り向いた。そうしてまるで縋り付きたいのを必死で堪えているような、熱っぽい視線を投げ掛ける。しかしそれも、白蘭の小さなため息で瞬時に消えた。
「骸君、ちょっと会わないうちにお馬鹿さんになっちゃったのかな? お兄ちゃんを怒らせるとどうなるか、知ってるはずだよねぇ?」
 白蘭の言葉に骸は音もなく舌打ちをこぼし、綱吉を軽く突き飛ばして距離をとった。綱吉は驚いてバランスを崩したけれど、加減がされていたので倒れることはなかった。
「……演技派の骸君にしては大根だけど、まあいいや。許してあげなくもないよ?」
 にっこりと胡散臭い笑顔で白蘭は骸のすぐ側まで歩み寄る。骸はもう止めなかった。
「ツナ君は教室に戻って先生に伝えといてくれる? 兄弟水入らずで話があるから、1・2時間目は欠席しますってさ」
 軽くウインクまでされて、綱吉はどうしたものかと骸を見る。陰になって表情は窺えないが、歯を食いしばっているように見えた。
(こんな状態で放っておけないよ……)
 二人の間に何かがあったのは確かで、今も何かあるのは確かで。そしてそれは幼なじみの綱吉にも知られたくないことらしくて。
「……は、話は授業の後にした方が……。ほ、ほら、転校初日からサボリはちょっとやっぱりさ!」
 うまい理由が思い浮かばなくて、そんなありきたりな言葉しか出てこなかった。案の定、白蘭はそれがどうしたとでも言いたげにじっと骸から視線を外さない。
 どうしてかわからないけれど、綱吉はその眼が嫌だった。骸の意志を無理矢理に従わせようとしているみたいで、気持ちが悪かった。
「よ、良くない! うん、良くないよ、絶対! ほら骸、教室に戻ろう?」
 一刻も早くこの場を立ち去りたくて、綱吉は強引に骸の手を取り引っ張った。
「つ、綱吉君……」
 骸は慌てたように声を上げて、たたらを踏んだ。その眼には明確な焦りが浮かんでいて、ちらりと一瞬白蘭の方を窺ったのを綱吉は目撃していた。
(やっぱりこのままにはしておけないよ!)
「骸確か1時間目の英語あてられてたろ。予習忘れたからって逃げちゃ駄目だよ!」
 適当なことを言って、綱吉は骸の手を握ったまま教室の方へ走り出す。すなわち、白蘭の方へ。
 骸は綱吉に引かれるままに綱吉の後をついて行き、白蘭のすぐ側を通る。

 視線が、絡まる。

「…………っ」
「……ふーん」
 
 でもそれはほんのわずかな間で、それ以上言葉を交わすことなく通り過ぎた。





















「あれが弟さんですか?」
 人気のなくなった廊下に突然気配が増える。しかし白蘭はそれが当たり前のように全く動じず、楽しそうに肩を揺らした。
「そ。カワイイでしょ、僕の骸君! あんまりこっち見てくれなかったけど、あの綺麗な眼に睨まれるとさ〜もうたまんないよね!」
 一気に言葉を並べる白蘭に対して、その人物は一方的な会話に慣れているらしく、相槌すら打たないで聞き手に回った。おそらくとても賢明な判断だ。誰も褒めてくれる人はいないけれど。
「まあ骸君が綺麗なのはいつものことなんだけど、こう、全部を見下して何者も寄せ付けない気高さっての? ついつい腰が震えちゃうよね!」
「…………変態」
 しかしさすがに耐え兼ねてぽつりと辛辣な言葉をもらす。わかっていたことだったけれど、残念ながらノーマルにはアブノーマルの気持ちは理解出来ない。特に相手が男というだけでなく、よりにもよって双子の弟だなんて、益々理解不能だった。
「ひっどいな〜。ま、別にいいけどね。自覚あるし」
 あるならやめればいいのに、と考えて、それも無理かと思い直した。第一、こんな異常な上司に従っている時点で十分異常なのだ。偉そうなことは言えない。

「わかってるじゃん、正ちゃん」

 正ちゃんと呼ばれた人物は、慌てて口に手をあてた。意識せぬうちに考えが口から漏れていたのかと少しの焦りを見せて。
「ふふ、違うよ。正ちゃんすぐ顔に出るんだもん。ボンゴレの超直感なんてなくてもすぐにわかるんだよ?」
 にこにこと無駄に笑顔を振り撒きながら、あるフレーズを境に白蘭の声はほんのわずかに低くなった。
「…………っ……」
 正ちゃん――正一は、ぶるりと身体を震わせた。付き合いが長いだけに、その些細な変化の意味もよくわかっていたから。
「見てたでしょ、正ちゃん。幼なじみのツナ君――未来のボンゴレ10代目は、随分とかわいらしいよね〜。昔からびっくりするくらい変わってないんだよ。あの見た目に騙されたのかなぁ、骸君。あんなんでもマフィアなのに。しかもボンゴレって言ったらマフィアの中のマフィアだよ? マフィアの殲滅が趣味の骸君があんな簡単に靡くなんて、とても信じられないよね」
 本当に、信じられない。
 そう繰り返す白蘭の菫色の眼はナイフのようにぎらつき、全く笑ってはいなかった。
「……白蘭さん、学校ではさすがに抑えた方がいいですよ」
「硬いなぁ、正ちゃん。これでも楽しみにしてるんだよ? 骸君との学校生活をさ」
 白蘭はくすくす笑って舌で唇を湿らせた。その仕種は御馳走を目の前にした肉食獣のそれだったけれど、どこか歪だった。




















 結局、白蘭が教室に戻ったのは1時間目と2時間目の間の休み時間だった。気にした風もなく転校初日から堂々とサボって見せた彼に、クラスメイト達はなんとも言い難い視線を送った。骸と綱吉を除いて。
「ただいま〜」
 たくさんの視線を軽やかに無視して白蘭はさっさと自分の席に――骸のすぐ後ろの席についた。しかし骸は全く反応を見せず、広げた教科書を眺めている。骸の隣の席の綱吉は、骸が普段勉強など全くしないのを知っているから、それでいていつも学年トップを保っているのも知っているから、それがどういう意味なのかもわかっていた。だから何も言わず、まだ何も書かれていない黒板に意図的に目を釘づけにした。
 教室に帰る間際に骸がぽつりと漏らした一言が、脳裏を過ぎる。

『アレはもう兄じゃない』

 その言葉の真意は、綱吉にはわからない。超直感なんて便利なものが備わっている綱吉だが、それとて万能ではなかった。

(兄じゃない、か……)

 白蘭と骸が離別したのは、確か10年前の6歳の頃。兄弟のいない綱吉にはよくわからなかったけれど、普通の男兄弟より遥かに仲は良かった気がする。喧嘩もせず、言い合いにもならず、いつも一緒で手を繋いでいる光景ばかりが思い浮かんでくる、そんな兄弟。双子とは言え二卵性か何からしく顔はあまり――いや、全くかけらも似ていないけれど、それでも二人で一人、そんな印象が強かった。
 そしてそこに綱吉が加わって、二人と一人。
(……俺の知らないところで、何があったんだろう)
 三人は『いつも一緒』と言えるくらいに共に過ごしていたけれど、白蘭と骸の二人に関しては『いつでも一緒』だった。隣同士であっても所詮は別の家庭に属している以上、知らないことも当然ある。けれど、綱吉の記憶では二人はいつも同じだった。驚く程に変化がなかったのだ。根本的に喧嘩をしないから二人の仲が険悪になることもなく、いつも一緒に同じことを体験しているせいか性格にそれほど差異ができることもなく。
 だからこそ、今どうしてこうなっているのか全くわからない。
「…………」
 ちらり、と窓際に縦に並んだ兄弟に視線を投げる。
 白蘭は後ろからじぃっと骸の背中を見つめ、骸はただ教科書を眺めていた。
 ……さっきから一切変わっていない。
(10年……か)
 月日が人を変えるのは知っているけれど、100年経ってもきっと彼らは変わらないと思っていたのに。
(なんか、居心地悪いな……)
 今は、一人と一人と一人だ。二人と一人でもなく、一人と二人でもなく、三人でもなく、単なるバラバラ。歯車が壊れて弾かれたように、何も動かない。
 それが嫌で、なんとかしたくて、綱吉は口を開いた。
「白蘭はさ、この10年間どうしてたの?」
 普通の質問だと、綱吉自身は思っていた。世間一般からしても、久しぶりに再会しての会話としてはよくあるものだ。
 だというのに、白蘭は酷薄な笑みを浮かべ、骸は顔の向きは変えぬままに咎めるような視線を綱吉に送った。
 白蘭は話したがっているようだった。
 骸は止めたがっているようだった。
(また、違う……)
 奇妙な違和感に、綱吉はすぐに後悔した。聞くべきじゃなかった。
「いろいろあったよ? ひとつところに留まらない根無し草でね。あっちこっちに飛び回っていろんな国に行ったかな」
 しかし白蘭の口から語られたのはごく普通の話だった。海外を飛び回ると聞くと珍しい気がするが、それでも一般の範囲内だ。綱吉には骸の視線の意味が理解できなかった。
「親父の仕事の関係で中国やイタリアには結構長くいたかなぁ」
「へ〜。ずっとお父さんと一緒にいたんだ?」
 その素朴な質問に、白蘭はそれはもう楽しそうに笑って、一言。

「ううん、すぐに殺したよ?」

 無邪気に、そう、一言。
(え……?)
 あまりにも明るく言われたせいで、言葉が正しく脳に伝わらなかった。しかし何度頭の中でリピートしても、意味が全くわからない。
「え、あれ? ごめん、意味が、よく――」

 ガラララ

 わからない、と続けようとして、教師が教室に入って来た。
 きりーつ、れーい、なんて古風な掛け声にも反応できず、彼らは動かなかった。
 授業はそんなことなど関係ないとばかりに始まり、その話は打ち切りになった。
















2008.8.17




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